- 夢使い DVD 1
- 夢使い OP CDS / 夢使い ED CDS
- しにがみのバラッド。 DVD 1a
「夢を見る資格がない人間もいますから」 © 三島塔子.ふむ,塔子さんの過去は (も) ワケありですか.
五番手 (実動部隊四番手) の緑色人民帽茶川三時花@能登麻美子登場.なんと,長崎の住人ですか.長崎空港からそんなに遠くないみたいだし,ひょっとして大村市の住人? 風車も見えるし,舞台はハウステンボス.長崎空港の正面絵は,確かに長崎空港のソレだった (笑).う〜む,名前には,女性軍は「三」男性軍には「一」の字が入りますか?
- 阿諛那由他の万華鏡♪ そのディクテイション,間違ってます.
- ドリル・オヴ・ソフトクリームって…….
- 円目の王さま,「V (部位) 設定の確認」って,どうやって美砂子さんが処女 (virgo) であることを確認してるんだ? (笑)
悪夢から解放された中岡雅史,なんで浜地恵の左目に開いた空間から入り込んで閉鎖空間を作ってしまわんかな.そしたら自己崩壊しても閉ざされたままでいられるのに.そうじゃないなら,え〜と半径数キロの街を包含できるんだから,もうちょっと頑張ればそれを閉曲面にまで拡大できるんじゃないの?
「遊部」とは
DVD CM より.「現実(うつしよ)は夢 夜の夢こそ真実(まこと) 顕界と幽界の間の番人 古代の呪術集団“遊部”の末裔 それが「夢使い」」だそうでございます.「遊部」とは「古代、朝廷と王族に特殊な技能や技術によって隷属する部民のひとつで、殯という古代独特の葬送儀式にかかわる一種の呪術集団 (※)」.てっきり非実在で架空の集団かと思ってたら,
第四章「遊部の伝承と『凶癘魂』」では、『令集解』喪葬令条の注釈が難解で実像が明瞭でない遊部について論じる。遊郭はアソブベとよみ非定住で全国を漂泊遍歴していたが、高市郡に定住して死者の鎮魂に不可欠な呪的職能に従った。その「幽顕の境を隔て」るとは死を確認して新しい身体へ霊魂の受け渡しを補助すること、「凶癘魂を鎮むる」とは疫疾の原因ともなる死者の霊魂を鎮め和らげることで、遊部は葬儀で天皇の霊魂を受け渡す呪儀に従事したと主張する。
「幽顕の境を隔て」ることから霊魂受け渡しの呪儀を想定するのはやや強引に思われ、それは此・冥界の境を明確にし霊魂に逝くべき世界を明示する、伊弉諾尊・伊弉冉尊の「絶妻之誓」のごとき儀礼ではなかったか。天皇の霊魂継承説は継受される天皇霊自身確かでなく、喪儀を催す殯宮での王位継承も考え難いことなど古代史家には強い否定論があり、それへの反論があればより説得的だったと思われる。なお、遊部の遊は非定住の漂泊ことではなく、王権への奉仕内容をさすのではなかろうか。
[ 平林章仁『保坂達雄 著『神と巫女の古代伝承論』書評』 より ]
だそうで,現在では散逸している『養老律令』の令の部第九の喪葬令に記載があったそうな.
日本語「遊」について
「あそび・ぶ」は折口信夫によって唱えられた「鎮魂の動作」であるという見解が有力であり、またその見解を取ればほとんどのものが説明できるという。ここでは、「あそび・ぶ」の音だけにこだわらず広く文献を探ってみよう。
「あそぶ」のが「鎮魂の動作」であると説明するために多く触れられるのが「遊部」の存在であろう。「遊部」とは「あそびべ」で,「喪葬令」にその名が登場し、その後の「令集解」・「令義解」に説明があるが、すでにその説は一定していないといわれる。諸注釈を集成した「令集解」に「遊部は、身の終わる事なし。故に遊部という。」とあり、令釈説「遊部は、幽顕の境を隔て、凶癘魂を鎮めるの氏なり。身の終わる事なし。故に遊部という。」、穴説「また其の人好むは、凶癘魂を鎮めるを為し、故に身の終わる事なし。課役を免れ、任意遊行す。故に遊部という。」、古記説では、雄略天皇の崩御の際、今までの供奉の一族が絶えていたので代わりに行った垂仁天皇の子円目王に「詔して今日以後、手足の毛八束毛に成るまで遊べと詔す。故に遊部君と名づくなり。但し、この条の遊部は、謂は、野中古市人の歌垣の類是なり。」と、諸説を紹介している。最後の古記説が、天若彦の喪葬の例などと結び付けられ、また歌垣の記事などから、主に葬送儀礼の時に歌舞などを奉納する部民が「遊部」だとされている(34)。「凶癘魂を鎮める」ことが「遊部」の役割なのだとしたら、これは、鎮魂の「あそび」を協力に*1補強する。しかし、「遊部」と名付けられた理由は、説明の別の箇所にある。それは「身の終わる事なし」であり「課役を免れ、任意遊行する」からであり、ずっと「遊べ」といわれたからである。これらの説明は、その時には既に「あそび」の本義が失われた故の説明だといわれるが、「鎮魂」とずっと「遊べ」というのではあまりにもかけ離れすぎていないだろうか。また「遊行」とはどういうことなのか。
(34) 五来重「遊部考」『仏教文学研究(一)』仏教文学研究会編 法蔵館 1983、及び前掲平林 (平林章仁『橋と遊びの文化史』白水社 1994) pp.141〜150の訓読参照。
お〜,「円目王」にも典拠があった.
「一生涯、階層の外にある遊部」
「殯」の項で先にあげた「遊部(あそびべ)」も、シャーマンの一種であった。葬送儀礼の場で歌舞を奉納した彼らは、一度その任に携わればその後の生活を保障されたが、「遊部」であるために課される制約があった。「詔して今日以後、手足の毛八束毛に成るまで遊べと詔す。故に遊部君と名づくなり。」「遊部は、身の終わる事なし。故に遊部という。」「遊部は、幽顕の境を隔て、凶癘魂を鎮めるの氏なり。身の終わる事なし。故に遊部という。」「また其の人好むは、凶癘魂を鎮めるを為し、故に身の終わる事なし。課役を免れ、任意遊行す。故に遊部という。」
古代「遊ぶ」の意は、現代と感覚を異にする。それは、神に属する力が顕現することにより、俗世と一線を画する空間がそこに現れることを意味した。「西遊記」「遊戯」「遊仙窟」「遊行」、「遊女」もこのうちに入る。「我を忘れて大きな力に身を任せる」おそらくここに、「美」の要素が加わると、当時の「遊び」の観念となる。ここでもやはり、「あちら」にアクセスするには、一生あちらへコンセントを繋ぎ続けねばならないと定義されていた。
古墳時代の貴族・天皇に関しては「殯(もがり)」が知られている。古墳の完成まで防腐処置を施した遺体を殯宮に安置し、様々な呪術的儀礼を行った。585 年に逝去された敏達天皇の殯期間は5年8ケ月に及んだという。(白骨化の期間とも)殯宮の中には死者に最も近い肉親がただひとり、死体のそばにいて喪に籠っている。但しこの肉親のほかに、遊部の禰義と余比のふたりが殯宮に入ることを許される。禰義は刀と戈を持ち、余比は酒食と刀をもって入り、凶癘魂を鎮める為の儀礼を行う。殯宮の外では諸臣によって誄(しのび)の儀礼(死者を慕い、死者の霊に向かって述べることば)が執り行われる。
(中略)
「ニライカナイ」の叙述は多くの発見に満ちている。天皇の子孫が自らを「天孫降臨族」と語った言葉の由来、遠くから訪れる「マレビト」。何れも生身の人間のことではないことが解る。彼らにとって「カミ」とは祖先の霊で、地の底、海の向こう、天の上、いずれも「あちらの世界」であり、やがて自分も行く場所だった。また、古事記に書かれた(ちなみに古事記は猿女君;アメノウズメの子孫=遊部と同じく皇族の葬送儀礼をになった一族によって歌い継がれた物語を記述したものである)天照大神の岩戸隠れに八百万の神々が集って歌い踊った意味にも、アメノウズメの性的なしぐさにも、深い意味が読み取れる。天照大神は一度、死んでしまったということだ。岩戸の前の大宴会は、その魂を呼び戻すための真剣な儀礼であったはずだ。
なんてところが引っ掛かったでござる.塔子さんの「夢を見る資格がない人間」なる述懐は個人的なものか,それとも夢使い全般に関わるものか.ここまで来ると後者だと面白いんだが.
くだくだしいと思ったら,『字統』を引くに限る.曰く「すべて自在に行動し,移動するものを遊といい,もと神霊の遊行に関して用いた語である.わが国の遊部が,喪祝として神事に与るものであったことは,遊の古義をなお存するものである.遊君・遊女なども,もとは神につかえるものであった.うかれ・遊びは,すべて人間的なものを超える状態をいう語であった.また「あそぶ」という語も,神遊びが原義であり,「あそばす」という敬語もそこから生まれる.神とともにある状態を言う」.ここから『梁塵秘抄』の「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ」を経てカイヨワに至るのはそんなに遠くない.婆娑羅の風を巻き起こしつつ,聖と賤の狭間に跳梁する「異類異形」のオープンソース軍団とも近しい存在だ (笑).
*1: 「強力に」のタイポかな?
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