- リチャード・ドーキンス "虹の解体", いかにして科学は驚異への扉を開いたか 福岡伸一 訳, 早川書房, 2001, ISBN4-15-208341-7, (Richard Dawkins "Unweaving the Rainbow", Science, Delusion and the Appetite for Wonder 1998)
以下の「科学」を適当に言い変えてみるよろし.
科学はとても楽しく面白いもので全然難しくなんかない,といういい方で科学を啓蒙すると結局,将来,どこかで失敗が起こるのではないかという気がする.本当の科学は必然的に難しいものであり,それゆえに積極的な意味でのチャレンジングなものとなりうるのだ.それでこそ,古典文学やバイオリンの演奏と同様に修練のしがいがあるというものである.もし子どもたちを見せかけだけの安易な楽しさだけをエサに科学に惹きつけても,将来彼らが科学の本当の難しさに直面すれば破綻するのは明らかである.軍の新官募集は野山へのピクニックをうたってはいない.訓練に耐えうるだけのやる気のある若い人材を求めるからだ.安易な楽しみといううたい文句は誤解を招き,科学に誤った幻想を抱いた若者を惹きつける結果になる.文系の諸学も同様の陥穽におちいりつつあり,安易に流れやすい学生たちは,根拠のないいわゆる「カルチャラル・スタディーズ」に走っているが,そこではテレビドラマや芸能人の脱構築を研究するというのがうたい文句だ.しかし,理系の諸学も文系の諸学も等しく難しいものであり,それゆえにやり甲斐のあるものである,そして各々の学問のすばらしさもそこにあるのだ.科学は努力すれば達成できるというものではない—ちょうど芸術のように—が,努力は必要だ.生命誕生の謎を解明することの価値を説明するために,お笑いタレントも見せ物も必要ない.
[ p. 43-44 より ]
某高校の先生曰く
- 「今の学生はとにかく楽したい」
- 「ちょっとでも難しいものは、もうだめ」
だそうで.「大衆は騙されたがっている」というのは誰の台詞だったっけ. 中村正三郎さん のところではよく「テレビ屋」と揶揄されてるけど,見る方も見る方で,けっきょくはわれわれに見合ったものが提供されている,と言えなくもない.しかも,日本だけじゃなくてイギリスもご同様.たぶん全地球的規模でご同様なんだろう.
原書刊行時にもグールドは存命で (亡くなったのは訳書が出た翌年),こちらでも丸々一章 40 ページ弱を割いてグールド批判を展開.容赦ないな〜.音響に関して述べた第四章は今ひとつピンと来なかった,
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