「人生は夢,夢こそ人生.その人生を誰がたかが単なると言えるか.そして仏法の成り立ちもまた夢と同じことなのだ」 © 道元.
何か『珍訳聖書』 (1973 年初版) を読んだときのと雰囲気が似てるなと思ったら, 1971 年初演という,比較的古い作品だった.翌日の『表裏源内蛙合戦』はそれより古い 1970 年の初演.
本編のみだと,およそ 3 時間弱.今まで観たうちで,いちばん歌の分量が多いかも.ってか多過ぎ.禅宗日本曹洞宗開祖道元の半生記とみせかけて実は…….その半世紀を見ているのが,阿部寛演じるもう一方の婦女暴行と結婚詐欺で捕まってる男.こいつももともと宗教者だという話だが,いわゆる胡散臭い新興宗教者ですか (笑).でも足してちょうど一人前,というか道元の失われた半身みたいな感じがするのは何故か.冒頭の Gong は梵鐘を模してると思うんだが,それならもっとそれらしい音響にしてくれ.鐘の音じゃなくて,パーカッションにしかに聞こえんよ.いきなりバスガイドが出てくるんだが,これは単なる案内役というか導入役ということでエエのか.ちなみに,場所は宇治の興聖宝林寺,日時は 1243 年 4 月ということで,この年は道元が越前に下向した年にあたる.阿部寛は 2 幕めも出ずっぱりなんだが,ほとんどステージ左で座禅組んでるだけ.座禅自体は 1 幕の後半以降ずっと.これは開山七周年記念の余興「道元禅師半生記」が眼前で演じられている,ということらしい.道元の南宋渡航以降が第 2 幕.『座禅は随処』は,メシ喰うのも風呂入るのもこれ弁道,っつ〜こってすな (笑).四斗樽に馬鈴薯〜大豆〜芥子粒・胡麻粒〜塩〜水.なんかエッシャー的な無限のお話ですか.塩というのがよく判らんが,溶かした後で分離することも考えてあるんだろか.道元=親鸞=日蓮>栄西.栄西の政治権力日和見主義を批判している……ですかね.当時でも相当の批判があったらしい.ケツは時間的に後の方に収束してしまう (笑).
- 主として道元に扮する男 / 男 (婦女暴行罪 + 結婚詐欺で拘置中):阿部寛
- 主として懐奘 (道元の右腕補佐役) に扮する男 / 精神分析医A / 良観 (母方の叔父,延暦寺高僧.良顕?) / 豪雲 (比叡山僧兵隊長) / 公円 (比叡山天台宗座主) / 栄西 (日本臨済宗開祖) / 如浄 (太白山天童景徳寺) / 親鸞:木場勝己
- 主として義介 (禅僧団経理部長格) に扮する男 / 警官 / 赤橋政方 (鎌倉幕府六波羅治安判事) / 学生A / 青年道元:北村有起哉
- 主として義演 (調理場主任) に扮する男 / 精神鑑定医B / 正覚尼の信男 / 源実朝 / 老典座 (阿育王山鄮峰広利寺,宗五大禅寺の一つ) / 衆僧 / 日蓮:大石継太
- 主として義尹 (後鳥羽上皇第三皇子,道元の秘書役) に扮する男 / 鷹司兼平 (近衛府中将) / 学生B / 明全 (栄西の弟子) / 読書人 (先生) / 衆僧 / 壮年道元:高橋洋
- 主として禅僧一に扮する女 / 彩雲 (僧兵) / 少年僧A / 姑娘 / 衆僧 / 帝:神保共子
- 主として禅僧二に扮する女 / 少年道元 / 赤橋の家来 / 姑娘 / 衆僧:栗山千明
- 主として禅僧三に扮する女 / 正覚尼 (実朝の元奥方,後鳥羽上皇の縁続き) / 男の妻 / 姑娘 / 衆僧 / 貴族A:横山めぐみ
- 主として禅僧四に扮する女 / 玄雲 (僧兵) / 介添僧 / 少年僧B / 姑娘 / 衆僧 / 貴族B:池谷のぶえ
- 主として禅僧五に扮する女 / 泰雲 (僧兵) / 看護婦 / 姑娘 / 衆僧:片岡サチ
- 看護夫:手塚秀彰
- 観光バスガイドの女:茂手木桜子
- 御仏:金子文 (ご苦労さまです)
- 作:井上ひさし
- 演出:蜷川幸雄
- 音楽:伊藤ヨタロウ
- 美術:中越司
- 照明:山口暁
- 音響:井上正弘
- 衣装:小峰リリー
- 振付:前田清美
- 舞台監督:濱野貴彦
- 2008 年 7 月 19 日, Bunkamura シアターコクーン
一人多役をネタにした要素とかも面白いが,やっぱちょっと長過ぎ.歌が多いので,その分スピード感が削がれるのも一因だろうか.ステージ天井からの撮影カットが何箇所か.これはラストの場面では効果的だった.このカットは客席からはぜったい見られないもんな.阿部寛,めさデカいな.まさに睥睨する感じ? 栗山千明はショートの方が可愛いかも (笑).
固有名詞依存症
川端康成の『雪国』の石坂洋次郎の『青い山脈』の麓に井伏鱒二の『駅前旅館』がありました.わたしは,その旅館の漱石の『坊ちゃん』です.
作者名はけっこうですから.
やがてわたしは青春の門や肉体の門をいくつも潜って田舎教師になりました.あるとき,女盛りの砂の女とノルウェーの森を見に行きました.蝉時雨の中で坂の上の雲を眺めながら語り合っていると,エロ事師と悪名の高い風の又三郎がわたしたちを写真に撮り,世間に公表しようとしました.そのネガを奪い取り注文の多い料理店で張込みをしていると,ちょうど夜明け前でしたが,真向かいの蟹工船から投げられた砂の器が眉間に命中して,そのはずみで路傍の石に蹴躓き橋のない川に転落したのです.
小説の題名で身の上を語っていました.これは固有名詞依存症の一種ではないでしょうか
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