Dal のシリーズに,テスカトリポカという名称を二分割したものがある. Tezca と Lipoca がソレ. プーリップカスタムまとめ Wiki* にこの2体のネーミング元は、アステカ神話に登場するテスカトリポカ(Tezcatlipoca)という双子の神に由来する。
という記述がある (その他/まめ知識 - プーリップカスタムまとめ Wiki*).そこには続いてアステカ神話を知った上でテスカとリポカをお迎えすると、魅力が増すかもしれない。
とある.アステカ神話ということで,もしかしてと思い,ちょいと調べてみた.結論:これは (も) 人身御供を要求する神だった (笑).
Bataille "La part maudite", Minuit
まずはバタイユ,ミニュイ版『呪われた部分』第二部の〔一〕アステカ族の供犠と戦争から,ベルナルディノ・デ・サーグンの引用をベースにしている.
まず「三 メキシコの人身御供」まるごと.
メキシコの人身御供についてはさらに古い時代のものよりも完全で生々しいかたちで知られているが,それは一連の残酷な宗教的儀式の中で恐らく恐怖の一高峰を打ち建てるものだ.
神官たちはピラミッドの頂で生贄を殺害するのだった.生贄を石の祭壇の上に横たえ,黒曜石の短刀でその胸を突き刺した.まだ脈打っている心臓を抜き取り,そんなふうにしてそれを太陽に向かって差しのべるのだった.生贄はほとんど戦争の捕虜であり,そうすることによって戦争が太陽の生命にとって必要であるという考え方を正当化するのだった.すなわち戦争は征服ではなく,蕩尽の意味を持っており,そしてメキシコ人はもし戦争がとだえれば,太陽は輝くのをやめるだろうと考えていた.
「復活祭の頃から」,若く,しかも申し分なく美しい,一人の男を生贄に捧げる準備に取りかかる.彼は一年まえ捕虜の中から選び出されたのである.以来彼は王侯のような暮らしを続けてきた.「彼は手に花を持って,共の連中に囲まれ,町中を練り歩くのだった.出くわす連中に一人残らず愛想よくあいさつし,片や,人々は,彼をテズカトリポカ (最も偉大な神々の一人) の化身とみなし,彼の前に跪き,崇めるのだった」.時々彼はカウチクシカルコのピラミッドの頂にある神殿にいるのが見られた.「昼夜を問わず,気が向けばそこに赴き,その場所で横笛を奏で,吹き終えると,世界の他の諸々の部分に向かって香をたき,それから宿所へ戻るのだった」.彼の暮らしの優雅と殿様並の待遇のためには為されない心遣いはなかった.「もし彼が肥れば,そのほっそりとした体型を保たせるために,飲みものには塩水を与えるのだった.犠祭の三週間前に,その若者には四人の美しい娘が与えられ,彼女たちとその三週間のあいだ肉体の交渉を持つ.彼に宛がわれるその四人の娘たちもまた,この目的のために大切に育てられてきたのである.彼女らには四人の女神の名前が与えられ (中略).生贄に供される祭礼の五日前に,犠牲者は神としての礼を捧げられる.王は宮廷にとどまり,いっぽう廷臣たちはその若者のあとにつき従うのだった.彼のために涼しく快適な場所で饗宴が設けられる (中略).その死の当日がやってくると,かれはトラコクカルコと呼ばれる祈祷所へ導かれる.だがそこに到着する前に.トラピツァナヤンと名付けられた地点に至ると,彼の妻たちは彼から離れ彼を一人きりにする.死を授からねばならぬ場所に到着すると,彼は自らその神殿の階段を登り,そして一段ごとに,まる一年のあいだ楽を奏でるのに役立ってきた横笛を一つずつ折るのだった頂に到着すると,彼に死を与える準備を整えた暴君 (神官) たちが,彼をとらえ,まな板の上に投げ倒し,そして手足と頭をしっかり押さえつけ仰向けに寝かせているあいだに,黒曜石の短刀を手にした男がそれを彼の胸にぐさりと突き立て,そしてそれを抜き取ったあと,短刀によって出来たばかりの傷口に手を差し入れ,心臓をえぐり取り,すぐさまそれを太陽に捧げるのだった」.
その若者の死体は低調に扱われた.それは神殿の中庭に静々と降ろされる.並みの犠牲者の場合はその階段から下へ投げおろされる.最大の暴力が日常茶飯事になっていた.死者の皮は剥がされ,神官がさっそくその血まみれの皮を身にまとうのだった.何人もひとまとめにして大籠の中に投げ込まれることもあった.そこから熊手ですくい上げ,まだ生きたままでまな板の上に置かれるのだった.犠祭が聖別した肉はたいてい人々の口に入って喰われるのが慣わしだった.祭犠は滞りなく続けられ,毎年聖なる奉仕は無数の生贄を要求した.その数二万とかぞえられる.刑死者のうち神の化身である一人は,神にふさわしく,死出の旅の道連れである見物人に取り囲まれて犠牲台に登るのだった.
[ バタイユ "呪われた部分", 生田耕作 訳, 二見書房, 1973, 1995, ISBN4-576-00023-3, pp.63-65, (Georges Bataille "La part maudite", 1949, 1967, 1971) より ]
次に「五 戦争の宗教性」から.
捕虜を連れ帰った者は聖なる劇において神官に劣らぬ役割を演じるのだった.犠牲者の血のうち,傷口から流れ出た最初の一鉢は,神官たちによって太陽に捧げられた.二杯目は生贄奉納者によって採血される.奉納者は神々の像の前に赴き,それらの唇を温かい血で潤すのだった.犠牲者の骸は奉納者に返される.彼はそれを家に持ち帰り,首だけを取りのけ,残りは塩も唐がらしも加えず火を通し,宴会の席で食われるのだった.ただし招待客たちによってであり,生贄を自分の息子と,いま一人の自分と見なしていた奉納者よってではない.饗宴をしめくくる踊りには,戦士がその首を片手に携えて参加するのだった.
もし戦士が勝利者として帰還する代わりに自ら斃れるなら,戦場における彼の死はその捕虜の生贄の儀式と同じ意味をもつことになる.糧に飢えた神々の腹をこやすことにかわりないわけだ.
兵士たちのためにテズカトリポカへ捧げる祈りの中では次のように唱えられた.
「まこと,かの者らが戦で果てんことを望まるる御心に謬りなし.けだし彼らをこの世に下されし趣は,その血と肉もて,日と地の御食となさんがために他ならざればなり」.
血と肉で満腹すると,太陽はその宮殿に霊魂を招く,こうしてその場所で戦死者たちは,生贄となった虜囚たちと混じり合う.戦闘における死の意味は同じ祈りの中で力説されている.
「願わくは,かの者らを猛く雄々しくあらしめ給え,その胸より弱き心を悉く除き去り給え,嬉々として死を迎うるのみならず,そを冀い,そがうちに暖かき誘いを見出さしめんがために.征矢をも剣をも恐れず,むしろ花のごとく,旨し糧のごとく,そを心地よき事柄と思いなさしめんがために」.
[ バタイユ "呪われた部分", 生田耕作 訳, 二見書房, 1973, 1995, ISBN4-576-00023-3, pp.69-70, (Georges Bataille "La part maudite", 1949, 1967, 1971) より ]
Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La part maudite", Gallimard
続いてガリマール版.上記内容は同じだが,章分けとタイトルが多少異なっている.なお,ミニュイ版の「三週間前」はガリマール版では「二〇日前」となっている.また,テズカトリポカという名称も,最初の出典時には「テスカポリトカ」になっている.二回目では「テズカトリポカ」.初回のソレが翻訳時の誤植なのかどうかは不明.バタイユ "呪われた部分 有用性の限界", 中山元 訳, ちくま学芸文庫, 2003, ISBN4-480-08747-8, pp.57-59, 63-64, (Georges Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La part maudite", 1976).
古代メキシコの神々は,血を貪り飲む神々であり,この神々だけが,栄誉のある世界と人間の世界の一致を保証していた.そしてこの偶像が見捨てられた瞬間から,豪奢なものを目指す意志は脅威にさらされ,あやういものになったのである,それとともに,すべての形式の非生産的な浪費に,たえず異議が申し立てられることになった.陰鬱で理性的な思考と存在の形式が,しだいに領域を拡大していった.素朴な文明は,計算する文明によって次々と破壊されるか,面目を失ったのである.
アステカ社会が破壊されてからというもの,世界のすべての場所で,それまで大衆の幻想や夢,習慣や新年を定めていたものが,合理的な実践と合理的な観念に譲ったのである.
[ バタイユ "呪われた部分 有用性の限界", 中山元 訳, ちくま学芸文庫, 2003, ISBN4-480-08747-8, pp.235, (Georges Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La part maudite", 1976) より ]
Girard "La Violence et le Sacré",
ジラールの『暴力と聖なるもの』には「テスカトリポカ」という名称は出て来ないが,アステカの人身御供に関して短い記述がある.
アステカ族の供犠の場合には,いけにえの選定とその殺害の間には,ある時間が経過する.その期間,人々は,やがて供犠される者の欲望を満たすために何でもする.彼の前にひざまずいて礼拝し,彼の衣服にさわろうとしてひしめき合う.この未来のいけにえが《真の神性》として扱われ,あるいは《一種の名誉王権》を行使すると断言しても誇張ではない.一切は少し後に,残酷な死刑執行で終わる…….
[ ルネ・ジラール "暴力と聖なるもの", 古田幸男 訳, 法政大学出版局, 1982, p. 486. (René Girard "La Violence et le Sacré", 1972) より ]
ここにジラールが言っている「アステカ族の供犠」とはバタイユが述べているテスカトリポカの人身御供と同じもののように思われる.もっとも,この本の参考文献リストにはサーグンの著書もバタイユの『呪われた部分』は揚がっていない (『エロティシズム』は揚げられている).
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