- J. K. ユイスマンス "さかしま", 澁澤龍彦 訳, 河出文庫, 2002, 2005, ISBN4-309-46221-9, (J. K. Huysmans "À rebours", 1884)
「一世の奇作」 (田辺貞之助) とか「隕石のように文芸市場に落ちてきて,ひとびとを仰天させ立腹させた」 (澁澤龍彦) とまで言われる本作の発表は 1884 年. 100 年以上前の話である.ゾラ一派の自然主義の獅子身中の虫,デカダンスと象徴派運動の突破口ということだが,登場人物は主人公デ・ゼッサントただ一人.筋らしい筋は皆無.全十六章に渡って,「さかしま」なダメ人間になる経緯,各分野におけるダメ人間の現世嫌悪,そして最後にそこからむりやり脱出させられる経緯があるに過ぎない.ある意味カタログ的.「さかしま」国紀行と読めなくもない (笑).有名な第四章の口中オルガンは読んでみたら微笑ましかった.第五章絵画編,モロオとルドンの絵画描写はやはり白眉か.『彼方』のグリューネワルトは伊達じゃない.ず〜っと飛んで第十五章は音楽編.グレゴリオ聖歌ぐらいだそうで,「音楽芸術から決然として遠ざかった」今,楽しく回想できるのはベートーヴェン,シューベルト,シューマンだそうである.初版刊行時,バルベエ・ドオルヴィリイが「かかる作品を書いてしまった以上,もはや銃口か十字架の下を選ぶより,作者には残された道があるまい」と予言したそうだが,カトリックに傾斜していくであろうことは最後の最後で自ら予言していますわな,「かくて彼は,ついに厭世主義の理論も自分にとって何らの慰安とならず,ただ幾分なりとも心を和らげ得るものは,未来の生活における不可能な信仰のみであることを覚った」.
バシュラールが「メドゥーサ・コンプレクス」と名付けたという「ユイスマンスの目」の意味がようやく判った.画業を生業とするフランドル系の家系に育った「ペンによる画家」の極めて緻密な目.何事も見逃すことなく,メドゥーサの一睨みで対象をページに凝固させてしまう力のことだろう.対象が凝固されて「動かない (動けない)」,いわゆる小説的なドラマがないという意味も含まれているはずである.
澁澤龍彦のあとがき集で触れてあったので見てみたら,ほんとだった. 矢野峰人 "世紀末英文學史", 上下巻 (補訂近代英文學史) 牧神社, 1926 (補訂近代英文學史), 1978, 1979, 第五章「デカダンの意義」は全体で 28 ページほどだが,そのうちの 22 ページは『さかしま』の詳しい紹介だった.アーサー・シモンズの『象徴主義の文学運動』も読まなくちゃダメ? (笑)
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