- ロジェ・カイヨワ "聖なるものの社会学", 内藤莞爾 訳, ちくま学芸文庫, 1971, 2000, ISBN4-480-08550-5, (Roger Caillois "Quatre Essais de Sociologie contemporaine", 1951)
「死・僥倖・権力・戦争」という「現代社会における聖の問題を扱っている」 (p. 10) 四篇を収めているが,それぞれの分量は,第二次大戦直後のアメリカ映画における「死の表象」が 12%,ラテン・アメリカにおける日常経済と賭博なる「金のつかい方」が 16%,ヒトラーを扱った「カリスマ的権力」が 22%,そして「戦争のめまい」が 51% と,あまりバランスは佳くない.そのためかどうかは知らんが (たぶん違うが) 第四論文は原書の 12 年後に出版された「ベローナ:戦争への傾斜 (ロジェ・カイヨワ "戦争論", われわれの内にひそむ女神ベローナ 秋枝茂夫 訳, 法政大学出版局, 1974, 1979, (Roger Caillois "BELLONE ou la pente de la guerre", 1963))」の後半部分に吸収されることになった.まぁ,時間軸を遡る形で読んでしまったんでアレだが (笑).原書はすでに 50 年以上前の刊行だが,日常的にフレーム内に描かれる死,金貸しが堂々とテレビ CM を流すようになったのはいつの頃からかすでに忘れているが,国家的規模での博打の CM も流されている,カリスマ政治家は不在のように見えるが実体は佳く見えねど確実に自分で自分の首を絞めているわれわれ,巷にはカリスマ何とかがうじゃうじゃ,世界を二分するような明らさまな大規模戦闘は姿を見せないが,もっと多分しようとする巧妙な局地戦は絶えたことがない.
- グールドがその著書のタイトルの元ネタにしたフランク・キャプラ監督の 1946 年の映画『素晴らしき哉,人生 (It's a Wonderful Life)』,グールド本では自殺しようとするジョージを止める守護天使クラレンスの意図は何も語られていない (p。498 - 502) が,その実,クラレンスだって無償でジョージを助けるわけではない.クラレンスの方にも天界での昇進が掛かっていたのだ (p. 24 - 25).アメリカのというかキリスト教の守護天使は只では動いてくれない.なんと経済的な (笑).
- 博打に端を発する消費の経済学が蕩尽理論にたどり着くのは自明の理.
- 「ところでこのやり方は,人はもともと理性的で,人物と議論とを十分識別できることを前提にしている (p. 119)」という前提そのものが間違っている.としか思えんよな〜.
- 産業革命が総力戦を生み出した (p. 182).みなが忌み嫌う戦争とは第三項なのか (笑).
- 「だから,こんにちの軍人にしても,たとえかれらは制服を着て,またそこには軍規があるにもかかわらず,このように《祝福された戦士》のおもかげを,なにほどかとどめていることになる.それは戦争がどんなに機械的・科学的になった場合を考えても,なお近代人を古代ゲルマン部族の野人,すなわち《狂戦士》 (berserker) の陶酔へと参加させるものだろう (p. 229)」.ほぉ〜,「ベルセルク」の語源ってここだったのか.シンチンゲルでは wie ein Berserker で「阿修羅の如く」だそうな.
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