ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2005年11月28日月曜日

蟲師 #05 旅をする沼

  • 蟲師 OP CDS

「あれは数万年は生きている.お前はその最後の旅に同行した訳だ.逢えて佳かったな」 © ギンコ.

荒れ狂う水神さまを鎮めるために供花(くうげ)となった娘の話.一度死んだ娘は水蠱 (後述) の花嫁として蘇る.河口の漁師村の医者,化野(あだしの)先生が登場する.ギンコは 五百蔵(いおろい)しんら が描いたというか生み出した緑皿を化野先生に売り飛ばしたのか,そうでないのか.気になる (笑).どうも,代金の代わりに村人動員を計ったとしか思えんな〜.

「湖沼地帯」と聞くとアーサー・ランサム描くところのノーフォーク地方の明るい風景を想像するのに対して,「沼」と聞くと『そよそよ族伝説』の明け方や黄昏のほの暗いイメージ,あるいは夜の冒険のイメージを抱くのは何故なんだろう.日本では「沼」というイメージは,半分ぐらいはまだ俗人が妄りに近付いてはいけないような神域に属しているのだろうか.なんか沼猫でも泳いでそうな感じがする.

水蠱(すいこ)
液状の蟲.無色透明の液体.古い水脈の水に好んで棲み,池や井戸に留まることもある.水と誤り水蠱を飲み続けると,常に水に触れていないと呼吸ができなくなり,身体が透け始める.それを放っておくと液状化し流れ出してしまう.そして当の蟲はあるとき突然消滅している.
生沼
水蠱の成れの果てで最終形態,というかあとは海に入って死ぬしかない.海を目指す最中,ときどき浮上する.浮上するたびに位置が変化するので,移動しているように見える.実際に移動しているのだが.狐狸に馬鹿されている訳ではなく,見た目のとおり.浮上するのは「子孫を残す」ためという場合もある.脱糞しに浮上する訳ではないらしい.

蟲と皿から構成される「蠱」という字は形どおり「腹の中の蟲なり」 (『説文解字』一三下).字訓には「まじない」,「まどわす」,「こびる」とあり,皿の字には呪術の意味も込められている.以上『字統』から.異様さをこの蟲の働きによるものとして,なんとか体系内に取り込んでしまおうとする意志が見え隠れする.「蠱法」は例の「蠱の毒」を抽出するためのプロセスだが,以上の事項からも「蠱」というイメージにはあまり佳いものがない.かと言って「水蟲」だと「すいちゅう」か「みずむし」となって後者は論外だし前者は何か収まりが悪い.「すいこ」だとアンキャニーさが出てよろしい.ギンコの説明によれば,「水蠱」は人間に害をなすとは言えるが,前提として害ある蟲というわけではない.嫁にとっては肯定的なイメージしかない.「蠱」の字のネガティヴなイメージを払拭するために用いた,のかどうかは判らないが,結果的にはそう言ってもよろしいかも.

贄となった娘,髪が緑. リマ ですかぃ (まさか!).水蠱を飲んだだけでは黄泉戸喫したことにはならんらしい.そういや,スイも真火(まほ)も移行中であるという中間段階にいた.廉子(れんず)さんはどうだったんだっけ.中間状態期間が永すぎて人としての形を失っていたんだったっけ.いずれにせよ,契約は 1) 意志の明示と 2) 完了通知 の二要素が必須で,二番めには時間が関与するものということであれば,贄娘はアンドロメダーでもペルセポネーでもない.エウリュディケーや伊邪那美とも違う.異形のものに付き従う娘というイメージは,どっかで読んだような気がするが思い出せない.

水蠱(すいこ)の一部となることを欲して沼に沈み,赤い着物を残して網をすり抜け,寒天状となって発見された娘,二度死んで蘇ったあとは通常の人間状態に戻り,化野先生に「いお」と呼ばれている.すっかり村の一員風で溶け込んでいる.「いお」という名前が元の名前だったのかどうかは判らない.「いお」=「いを」だと思うが,「いを」は魚類全般の 古い呼称 (『古事類苑』動物部ー六).これが変じて「うを」となった.まぁ漁師全員が「水を生き,水で生かされている」とも言える訳だけど,「いお」の場合は徴という意味もありそうだな.今は景気が佳いからエエが,これが不漁が続いたり,なんぞ縁起の佳くないことでも続くようなことがあれば,福をもたらすものという徴を剥がされて単によそものとなり,またもや糾弾の的になるのではないかと思うと,ちと心配 (気の回し過ぎだ).

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