「三月だ,僕は粕羽三月.君の少年時代だ」 © 赤木圭一郎.
何度見ても面白い傑作.ノダ急報,爆発するイメージ.柔らかい奇怪.マシンガンのごとくに繰り出される台詞の間断の射手,沸騰する身体,駄洒落譬喩暗喩直喩連想配列.スパイラル・イテレーション.場外馬券売り場からニュールンベルクのストーヴ.あれ,もう鳥栖か.「そこ! ぉわぃ.アジアの母アタリヤ,わが子の死にたるを見て,立ってユダの家の皇子をことごとく滅ぼしき,この間,アタリヤの国おさむること六年.ぅわぃ.ぱぱぱ」 © 粕羽聖子.
その昔,ソニーヴィデオソフトウェアインターナショナルから 00LS5005 としてリリースされていた LD と同じソース.ちなみにお値段は ¥12,000.1988 年 5 月 3 日に買ってた.その後 2003 年にアニプレックスから DVD 化されたので 箱 も 買った (笑).ではあるが,放映に先立って検閲が掛かってる.具体的には,正月の「土くれた道が,ふうっと僕らを吸いこもうとしたんだ」[野田秀樹 "小指の思い出", 而立書房, 1984, 1987, p. 46.],アズサ 2 号男爵 / D51 号男爵の「おまんこしましょうね」[ibid, p. 52, 57.]などなど.文左衛門の「さだまさしいやっちゃなあ」[ibid, p. 22.]というのはダイジョブなんだが (笑).ちなみに検閲の仕方は音声を消すだけじゃなくて,映像ともばっさりカット.
やっぱ,円城寺あや & 竹下明子のコンビは強力だな〜.
- 赤木圭一郎,粕羽三月:上杉祥三
- 粕羽聖子:野田秀樹
- 粕羽八月:円城寺あや
- 粕羽六月:竹下明子
- 粕羽正月:山下容里枝
- 当り屋文左衛門,正体不明の男,メジロムサシ公爵:段田安則
- 佐伯長太郎,ハギノカムイオー男爵:羽場裕一
- 当り屋先生,モンタサン伯爵:佐戸井けん太
- サクラフブキ令嬢:松浦佐知子
- あずさ刑事,アズサ 2 号男爵:松澤一之
- こだま刑事,D51 号男爵:田山涼成
- 行方不明の少年:川俣しのぶ
- 上田信良,門間利夫,石井洋祐,杉田秀之,藤岡太郎,渡辺杉枝,山崎環
- 作・演出:野田秀樹
- 装置:朝倉摂
- 照明:北寄崎嵩
- 音楽・演出補:高都幸雄
- 振付:謝珠栄
- 衣装:原まさみ
- 舞台監督:津田光正
- 制作担当:高萩宏
- 1986 年 9 月 17 日,下北沢・本多劇場
ちょこッと遊眠社++
冒頭,渡辺保,高泉淳子の対談で引用される映像.
- NHK ニュース.1992 年 10 月 9 日.
- 若い広場. 1980 年 8 月 24 日.野田秀樹インタビュー.
- 『二万七千光年の旅』, NHK スタジオ, 1980 年.
- 若い広場. 1980 年 8 月 24 日.野田秀樹インタビュー.
- NHK ニュース.1992 年 10 月 9 日.
- 若い広場. 1980 年 8 月 24 日.野田秀樹インタビュー.
- 『小指の思い出』, 1986 年.
- 如月小春インタビュー. 1992 年.
カスパー・ハウザー
「もうそうするより仕方ない」一族→粕羽法蔵→カスパー・ハウザー.
- フォイエルバッハ "カスパー・ハウザー", 地下牢の 17 年, 野生児の記録 3, 中野善達, 生和秀敏 訳, 福村出版, 1977, 1979, (Anselm Ritter von Feurbach "Kaspar Hauser", Beispiel eines Verbrechens am Seelenleben des Menschen 1832)
- 種村季弘 "謎のカスパール・ハウザー", 河出書房新社, 1983.
- ペーター・ハントケ "カスパー", 龍田八百 訳, 劇書房, 1984, (Peter Handke "Kaspar", 1967)
1828 年 5 月 26 日,ニュールンベルクのノイトールシュトラーセに突如出現し, 1833 年 12 月 14 日,アンスバッハの白雪つもる公園で刺され,数日後に死んだカスパー・ハウザーとは何ものだったのか.バーデン大公カールと,ナポレオン皇妃ジョゼフィーネの姪ステファニーとの間に生まれ,生後 17 日で病死したとされる名もなき王子,宮廷政治闘争の幼い犠牲者なのか,フランス or スペイン or ハンガリーの廃棄王子か,田舎貴族の庶子か,稀代の詐欺師か,単なる浮浪者か,逃走した少年馬丁か,軽業師か.それとも,なにか名付け難い異形のモノが「ことばを獲得させられ,どのように喋る人間につくられて行くかを明らかに」 ("カスパー", p. 3) するイベントの登場人物か.はたまたナポレオンの遺児か,伝説の少年当たり屋か.
カスパール・ハウザーは三度死ぬ.一度は名もない王子の替え玉の病児として名もなく死に,二度目は無名屍体のエルンスト・ブロッホマンとして死に,三度目に正体不明の青年カスパール・ハウザーとして死ぬのである.
[ 種村季弘 "謎のカスパール・ハウザー", 河出書房新社, 1983. p. 193 より ]
カスパー・ハウザーは鏡である.人々は彼に自分が見たいと思っているものを見い出す.
要するに主観の見るがままに彼を見て,ついにカスパール・ハウザーという謎を解けぬがままに彼を排除し,この謎があたかもなかったもののように忘れ去ろうとした.とはつまり,一八二八年以後の時代はカスパール・ハウザーを抹殺することによってそれがあったように成り立ちはしたが,同時にカスパール・ハウザーが存在することによって成り立ったかもしれない世界を抹殺もしたのである.どういう世界が抹殺されたか.思うにそれは,カスパール・ハウザー的な「生のものの脅かすような無論理と想像力の自給自足の魔法」によって概念の世界が永続的に解体され,玩具箱をぶちまけたように混乱しつつ夢の言語を通じてたあえず再生するような世界であった.
[ ibid, p. 338 より ]
カスパー・ハウザーの死がやりきれないのは,まさにそれが「子どもの死」であり,しかもそれが外力によって強制的に排除されるからに他ならない.その子は外から異形のモノとしてやってきた.他との関係は 1 対他というあからさまな排除の構造にある.客人である異形のモノは教育と同化を強要された. 5 年の歳月を経て,その子は同化し自我を持つに至った.
カスパー・ハウザーの登場と退場の期間は 5 年 7 ヶ月弱.これには意味があるのか (ibid, pp. 174-5.
).
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