天若日子として数十年後に墓所から蘇った大津皇子が耳面刀自としての横佩家の藤原南家郎女魂を呼ぶ.郎女は 当麻曼荼羅 を残して極楽往生するという超自然的癒し系ホラー (をい).郎女の父親の横佩右大臣藤原豊成が太宰員外帥に貶されて難波で謹慎中なので, 756- 764 年辺りの出来事か.
以下の出典は 1999 年の新字旧仮名新編集版『死者の書・身毒丸』*1から.
- 「
喚 び声」,「喚 き声」, p. 12., 「おらぶ」って,古語が方言として残ったものだったのか. - 此世の悪心, p. 33., 憎悪とか怨念とか呪いとか.
- 天若日子, p. 36., 「天の神々に弓引いた罪ある神」.
- 其後,人の世になつても,氏貴い家々の娘御の閨の戸までも,忍びよると申しまする.世に言ふ「天若みこ」と言ふのが,其でおざります., p. 36., →
山越しの阿弥陀の姿をしてるんだろ? アスタータ 50 への導の門だ! (をい)それは牡丹燈籠,何かが道を! - 「もゝつたふ」の歌,残された飛鳥の宮の執心びと,世々の藤原の一の媛に祟る天若みこも,顏清く,声心惹く天若みこのやはり,一人でおざりまする., p. 36., =大津皇子
- 滋賀津彦, p. 37., =大津皇子
- まろこ,麻呂子山,まろ子, p. 44., 「まろ子といふのは,尊い御一族だけに用ゐられる語で,おれの子といふほどの,意味であつた.」
美 し女 , p. 82., → "Ghost in the Shell" の『謡』 (BMGビクター, BVCR729, 1995) では「麗し女」美 し女 ,賢 し女 , 物忌み—たぶう—, p. 84.- 家の刀自たちが,物語る口癖を,さつきから思ひ出して居た〜自分であるやうな気がして来る. pp. 90-91., 出雲宿禰分家嬢子の鶯変身譚
- 法喜——飛ぶ鳥すらも,美しいみ仏の詞に,感けて鳴くのではなろうか. p. 92., 鶯の鳴き声は,ほゝき ほゝきい ほゝほきい
- ほゝき鳥は,先の世で,〜切なく鳴き続けることであらう. p. 95., → Air, また,ほゝき→法喜→法華
萼 , p. 101.,- 長い渚を歩いて行く.〜自身明らかに目が覚めた. pp. 107-109., → Air,最も美しいシーン.
- この中申し上げた滋賀津彦は,やはり隼別でもおざりました.天若日子でもおざりました.天の日に矢を射かける——.併し,極みなく美しいお人でおざりましたがよ. p. 146., 天若日子→「天の日に矢を射かける」もの. p. 36 では「天の神々に弓引いた罪ある神」.書紀では天稚彦.隼別→應神天皇皇子.書紀では隼總別皇子 (第十),隼別皇子 (第十一).古事記では速総別王,応神記では速総別命.大鷦鷯天皇 (仁徳天皇) と雌鳥皇女を争って負け,謀反の疑いありとして殺される.この三人はいずれも応神天皇の異母兄弟姉妹.この話はトーマス・マンの『ファウストゥス博士』のエピソード,アードリアーン・レーヴァーキューンがヴァイオリニストのルードルフ・シュヴェールトフェーガーを使者に立ててマリー・ゴドーに求婚した顛末を思わせる.間に立ったシュヴェールトフェーガーはマリーと婚約し,嫉妬で逆上したイーネス・インスティトーリスに射殺される.狂を発する直前のレーヴァーキューンの告悔は「しかしそのために私はその男を殺し,
彼 が強制し指図するままにその男を死へと追いやらねばなりませんでした」*2 - 何を思案遊ばす.〜早くお縫ひあそばされ. p. 148., 夢の指示
- 淡路の島は愚か,海の波すら見えぬ,煤ふる西の宮に向つて,くるめき入る日を見送りに出る.この種の日想観なら,「弱法師」の上にも見えてゐた. p. 168.,
- 熊野では,これを普陀落渡海と言うた. p. 169., ←補陀落渡海
- 日想観もやはり,其と同じ,必極楽東門に達するものと信じて,謂はゞ法悦からした入水死である. p. 169.,
- 三久留部,三廻部, p. 184., いずれも,読みは「ミクルベ」
- 即,
目眩 く如く,三尊の光転旋して直視することの出来ぬことを表す語とも見られるのである.即みくるべはめくるめ又は,めくるめきであらうと思ふのは誤りか., pp 184-185., →『恋のミクル伝説』〜目眩伝説,三久留伝説,三廻伝説.ちなみに,若林鏡太郎博士曰く,「……このドグラ・マグラという言葉は,維新前後までは切支丹伴天連の使う幻魔術のことを言った長崎地方の方言だそうで, (中略) 『堂廻目眩』『戸惑面喰』という字を当てて,おなじように『ドグラ・マグラ』と読ませてもよろしいというお話ですが, (後略)*3」.
- 折口信夫 "死者の書・身毒丸", 中公文庫, 1974, 1999, 2006, ISBN4-12-203442-6
寺山修司の『身毒丸』はこちらの身毒丸とどんな関係があるんだろう.
青空文庫から
- 死者の書 ——初稿版—— 新字旧仮名
- 死者の書 旧字旧仮名
- 死者の書 新字新仮名
- 死者の書 続編(草稿) 旧字旧仮名
- 山越しの阿弥陀像の画因 新字旧仮名
- 山越しの阿弥陀像の画因 旧字旧仮名
- 山越しの阿弥陀像の画因 新字新仮名
- 身毒丸 新字旧仮名
全部読めるのか〜 (笑).
藤原郎女
生没年不詳.ここでモデルになっているのは当麻寺の 中将姫 (747-775).自作解説『山越しの阿弥陀像の画因』によると,まず未完の短編『神の嫁』で中将姫の事績に関して書き始めて中断したあと,横佩垣内の大臣家の姫の失踪事件についれ書き出した挙げ句に「尻きれとんぼう」になった.その後,やっと「ゑぢぷともどき」の『死者の書』として結実*4.「私の女主人公南家藤原郎女」と明記した*5.
耳面刀自
藤原郎女の祖父の叔母に当たる.大織冠藤原鎌足の娘.大友皇子 (弘文天皇, 648-672) の妃の一人.壬申の乱で大友皇子が自決したあとの行方は全く不明だそうで,いろんな伝説を生んだらしい.
大津皇子
663-686. 天武天皇皇子. 686 (朱鳥元) 年謀反を企てたとして捕らえられて訳語田の舎で刑死.享年二十四.その際,妃皇女 山邊 ,髮を被 して徒跣 にして,奔 り赴 きて殉 ぬ.見る者皆歔欷 く*6とあるのが何とも哀れ.
郎女から見た大津皇子の描写*7.
言ふとほり,昔びとの宿執が,かうして自分を導いて来たことは,まことに違ひないであらう.其にしても,ついしか見ぬお姿——尊い御仏と申すやうな相好が,其お方とは思はれぬ.
春秋の彼岸中日,入り方の光り輝く雲の上に,まざ〴〵と見たお姿.此日本の国の人とは思はれぬ.だが,自分のまだ知らぬこの国の男子たちには,あゝ言ふ方もあるのか知らぬ.金色の鬣,金色の髮の豐かに垂れかゝる片肌は,白々と袒いで美しい肩.ふくよかなお顏は,鼻隆く,眉秀で,夢見るやうにまみを伏せて,右手は乳の辺に挙げ,脇の下に垂れた左手は,ふくよかな掌を見せて,……あゝ雲の上に朱の唇,匂ひやかにほゝ笑まれると見た……その俤.
日のみ子さまの御側仕へのお人の中には,あの樣な人もおいでになるものだらうか.我が家の父や,兄人たちも,世間の男たちとは,とりわけてお美しい,と女たちは噂するが,其すら似もつかぬ…….
(中略)
その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕えた,と言ふお方は,昔の罪びとらしいに,其が又何とした訣で,姫の前に立ち現われては,神々しく見えるであらうぞ.
当麻の語部の姥の誦り.
とぶとりの 飛鳥の都に,日のみ子樣のおそば近く侍る尊いおん方.さゝなみの大津の宮に人となり,唐土の学芸に詣り深く,詩も,此国ではじめて作られたは,大友皇子か,其とも此お方か,と申し伝へられる御方.*8
併し,極みなく美しいお人でおざりましたがよ. (名無しの尼/当麻語部姥)*9
『日本書紀』から*10.
皇子大津は,天渟中原瀛眞人天皇 (天武天皇) の第三子 なり.容止 墻 く岸 しくて,音辭 俊 れ朗 なり.天命開別天皇 (天智天皇) の為に愛 まれたてまつりたまふ.長 に及 りて辨 しくして才學 有 す.尤 も文筆 を愛 みたまふ.詩賦の興 ,大津より始れり.
皇子大津,天渟中原瀛眞人天皇第三子也.容止墻岸,音辭俊朗,為天命開別天皇所愛.及長辨有才學.尤愛文筆.詩賦之興,自大津始也.
才人だったらしいですな〜.この辺り,皇位継承が入り組んでるけど,天武天皇妃である大田皇女の息子である彼は,伯母である鸕野讚良 (天武天皇皇后.のちの持統天皇) に滅ぼされたのか.大田皇女は大津皇子が五歳の時に亡くなっている.
- ⇐ 折口信夫 "死者の書・身毒丸", 中公文庫, 1974, 1999, 2006, ISBN4-12-203442-6.
- ⇐ トーマス・マン "ファウストゥス博士", トーマス・マン全集 VI, 円子修平 訳, 新潮社, 1971, 1976, p. 512., (Thomas Mann "Doktor Faustus", . Das Leben des deutschen Tonsetzers Adrian Leverkühn, erzählt von einem Freunde, 1947).
- ⇐ 夢野久作 "ドグラ・マグラ", 三一書房, 1969, p. 54.
- ⇐ 折口 op.cit., pp. 163-164.
- ⇐ ibid., p. 185.
- ⇐ 坂本太郎, 家永三郎, 井上光貞, 大野晋 校注 "日本書紀", 下巻, 日本古典文学大系 #68, 岩波書店, 1965, 1987, ISBN4-00-060068-0, p. 486.
- ⇐ 折口 op.cit., pp. 34-35.
- ⇐ ibid., p. 32.
- ⇐ ibid., p. 146.
- ⇐ 坂本ほか op.cit., pp. 486-487.
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