ニヒリズムの極北大乗小説,中里介山『大菩薩峠』壬生と島原の巻 十三より.
これはこの世のことならず、
死出 の山路 の裾野 なる、 さいの河原の物語、 聞くにつけても哀れなり、 二つや三つや四つ五つ、 十にも足らぬみどり子が、 さいの河原に集まりて、 父こひし、母こひし、 こひし、こひしと泣く声は、 この世の声とはことかはり、 悲しさ骨身 を透 すなり、 かのみどり子の所作 として、 河原の石を取り集め、 これにて回向 の塔を組む、 一重 、組んでは父のため、 二重、組んでは母のため、 三重、組んでは古里 の、 兄弟わが身と回向して、 昼はひとりで遊べども、 日も入相 のその頃は、 地獄の鬼が現はれて、 やれ汝等は何をする、娑婆 に残りし父母は、追善作善 のつとめなく、 ただ明け暮れの嘆きには、 むごや悲しや不憫 やと、 親のなげきは汝等が、苦患 を受くる種となる、 われを恨むることなかれと、 くろがねの棒をさしのべて、 積みたる塔を押しくづす、 その時、能化 の地蔵尊、 ゆるぎ出でさせ給ひつつ、 汝等いのち短くて、冥途 の旅に来 るなり、 娑婆と冥途は程遠し、 われを冥途の父母と、 思うて明暮 れ頼めよと、 幼き者を御ころもの、 もすその中にかき入れて、 哀れみ給ふぞ有難き、 いまだ歩まぬみどり子を、 錫杖の柄にとりつかせ、忍辱慈悲 のみはだへに、 抱きかかへ撫でさすり、 哀れみ給ふぞ有難き——
♬一つ積んでは父のため〜♫ と覚えてたんだがな〜.こちらでは違うんか〜.
0 件のコメント:
コメントを投稿