ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2004年5月12日水曜日

モートン・ルー『ザ・ウェーブ』

 どこまで脚色されているのかは判らないけど 1969 年パロ・アルトのハイスクールに於ける歴史の実験授業が元になっている.テレビ・ドラマにもなったらしい.再読のきっかけはもちろん es [エス]観た からだ.映画では死者二人,実験を行った責任者の教授を含め重軽傷者多数というところまで行ったが,実際の実験では囚人役のひとりが鬱状態に落ち込んだところでストップが掛かったらしい.ちょっと安心.言われてみれば,心理的にはクライマックス曲線の最後の昇り坂に相当する映画での看守側の暴走以降は駆け足だったよな.ってか,それ以前に暴走を防ぎ得ないような管理ではあまりに杜撰と言われても返す言葉もない訳で.

 ハイスクールのロスは型破りの歴史教師.できる限り生徒たちに歴史の生きた姿を伝えるのが特徴.政治制度ではクラスを政党に分け,裁判では被告,検事,弁護士,陪審員を生徒たちに割り当てて演じてもらう.ある日ロスが生徒たちに見せたのは,ナチス・ドイツの残虐行為を描いたドキュメンタリー映画.映画が終わって呆然としている生徒たちから上がる質問.

  • 「どうして (ドイツ人の) だれもかれら (ナチス) を阻止しなかったのですか?」
  • 「ナチスが身のまわりにいる人たちを殺しているのに,ドイツ人全部がふところ手をしていて,そのことを知らなかったって言えるなんて.そんなこと,できるはずもないし,言えるはずもないわ」
  • 「たったひとにぎりのナチスがこわくて,見なかったとか聞かなかったとか,ぼくだったらそんなことはさせないよ」
  • 「逃げだせばよかったのよ.たたかえばよかったんだわ.それぞれ自分の目と自分の心をもっていたんでしょ.自分の頭で考えられたはずよ.そんな命令にしたがう人なんて絶対にいないわ」

 納得できない生徒たちと,彼らにうまく返答できなかった自分に対してロスが思い付いたのは「ナチス・ドイツでの生活の一端を再現して体験させる」ことだった.ロスは導入のためにゲームのインタフェースを用いて,まず「形から入る」ことを教えた.最初は「規律をとおして力を」.「動作と姿勢の実験」として身体に叩き込む「訓練」を開始する.効率化のアイディアを出したりして,見慣れない授業形態に乗ってくる生徒たち.緊張感と集団の一体感に快感を覚える.このスタイルでロスが次に教えたのは「共同体をとおして力を」.ロスはこの二つをモットーとして生徒たちに唱和させる.旗印としてマークを与え,敬礼という身体動作も与えた.「共同体」には「ザ・ウェーブ」と命名した.クラス全員が大声でモットーを叫び,敬礼動作を繰り返す.劣等生でクラス中からつまはじきだったロバートの眼が活き活きと輝きはじめる……

  3 回目の授業でロスは生徒たちにカードを配る.カードは「ザ・ウェーブ」の運動員証.裏に赤で X が印字されているものは「監視役」.監視役は「ザ・ウェーブ」の規律に違反するものを通報しなければならない.そして新しいモットーを追加する.「行動をとおして力を」.ロスは集団に規範を授け,方向性を示し,運動エネルギーの初期値を与えた.かくして「何か」が動きはじめる.卵の中で.

 沸騰したお湯がぼこぼこ泡立つように集団の中から匿名の意志が生まれ,ロスの「命令」として実行されて行く.実際にどの地点まで行ってしまったのかは不明だが,この本では「ザ・ウェーブ」の運動員による恐喝や暴行事件が起こる.コントロールを失って手に負えなくなる前にロスは「ザ・ウェーブ」を止めなければならない.しかも「生徒たちが自主的にやめるようにするべきだし,かれらはその理由を納得する必要がある」.ロスは集会を組織し,ショック療法的に卵を割ってみせ,「ザ・ウェーブ」が何を生もうとしていたかを生徒たちに突き付ける.

 この事件のあと,三年間誰もがこのことに関しては口をつぐんでいたそうだ.

  2 回目の授業でモットーを唱えて敬礼動作を繰り返す生徒たちをみて,ロスが「まさに軍隊だ」と思うところがある (p. 63).実際は知らないけど犬の「調教」ってまさにこういうのなんじゃないかと思った.合成すると,「軍隊に必要なのはヒトではなくてイヌだ」ということになるが,これではまるで押井守だ (笑).

 こんな中で正気を保つのに必要なのは,ローリーがそうだったように「ぞっとする」ような違和感を持ち続けることだ. 20 年前なら「ズレ」と言っていたヤツ.だが,その違和感を元に行動するのは難しい.流れに棹さすには多大なエネルギーが必要になる.外から見れば理不尽極まりない暴力にも曝される.巻き込まれて流された方がはるかに楽だ.周りが全部ノッて立ち上がっているライヴ会場で独り椅子に据わり続けるのには実に勇気が要る.「共同体」が比較的目につきやすく,一過性でしかも時間制限がある場合なら「振りをする」ことでやり過ごすことも可能だ.軍人が軍人であることを要請される場合,かれらは物理的または精神的に制服を着ている.構成員とそうでないものの区別は相対的に簡単だし,違和感をベースに構造体の外部を想像することも可能だ.が,目につき難い場合はこれは至難の業となる.ブラックホールにしたって規模が小さい場合は A 地点と B 地点の重力の差が大きいので判別し易いと言えるが,大きい場合重力差が小さくなるので難しくなる.シュヴァルツシルト半径を踏み超えて初めて自分が中に入ってしまったことを認識したりする.身の回りが「共同体」の構成員ばかりで,しかも共同体の中にいることすら判らない場合だってある.つまり,区民であり都民であり国民であると言うことがソレだ.ふだんはそんなこと気にも留めない.自分の住んでいる町や市や区が,都道府県が,国がそういう狂気の中にいないと言えるだろうか.

 ロスは「ザ・ウェーブ」が生徒たちの間に浸透するにつれて,かれらの答案が質的に変化してきたことに気付く.思考能力や分析能力が低下し,回答が短く反射的になってきたのだ.ヒト一人を思いどおりに動かすのは難しいがヒトの集団の方はそうでもないらしい.型に身体動作を与えて判断する時間を与えず,自律的に動いて行くような種を撒いておけばプロセスは勝手に進行する.

 ヒトが二人向き合えば「場」が発生する.ヒトは本能が「壊れ」ているから「場」を形作るものは「そうであるであろうと考えられるもの」とでもいうべきものになる.頭の中にしかなく実体がないから「共同幻想」と名付けられたりしている.「es [エス]」も「ザ・ウェーブ」もそこから生まれた.そりゃ当たり前だ.そのうちの比較的規模の大きいものが人類史になっているんだから.この極端なまでにレンジの広い可塑的能力をどう手懐けるか,どうやって向き合って行くか,それが問われている.人間を暗黒に突き落とすのもコレなら,文明を築き上げてきたのもコレがベースにあるからだ.などと言うことを考えているうちに夜は更けて行く.

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