ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2005年8月10日水曜日

奥さまは魔法少女 #05 大人ならOKよ、ということ

「万巻の書を読むに非ざるよりは,寧んぞ千秋の人たるを得ん.一己の労を軽んずるに非ざるよりは,寧んぞ兆民の安きを致すを得ん」 © クルージェと神楽巽による吉田松陰の引用.

結局,補完してるし (笑).でも絵は停滞してるな〜.話もイマイチだ.

舞台は萩なんですかね.吉田松陰とか松下村塾.同じような思想は四国でも九州でも東北でも,日本各地で起こっていたにも関わらず,なせ福岡の玄洋社だけ異端視扱いされるのか謎.なんの疑問も抱かずに頭山満=右翼の巨頭というレッテルを張って意に介しないという思考停止の産物でしょうな.ま,その後の大陸政策に影響を与えていることなどからすると,実践的な裏の影響力は明らかなんだけどね.それはともかく,この時代の思想家たちに共通する欠点というか立場は徹頭徹尾武士階級に立脚しているということ.皆が皆,徳川政権が依って立つ基盤をそっくりそのまま流用してるのが不満.

本平舞子 / カルダン・エルゼさんは九州出身なのか? 其処此処に方言出まくりですな.

コレって『めぞん一刻』なんかと,ふと思った.嬉子さん=アニエスが響子さんで,巽が五代,クルージェはこずえ等,浅羽保は嬉子さん=アニエスにとっては惣一郎さん,巽にとっては三鷹ってな感じか.ただ,『めぞん一刻』の方でどの程度響子さんの内面が描かれていたのかよく覚えていないのだが,視点からいうと五代側の比重方が多かったような気がする.逆にこちらは巽は外様扱いっぽくて,あくまでも主役は嬉子さん=アニエスの方.あちらが精子視点ならこちらは卵子視点.

資料集めというのは,やみくもに拾ってきても意味がない.それでは羅列でしかない.資料が資料となるには,そこに解釈を与える必要がある.

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