ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.
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2007年11月27日火曜日

Witch Hunter Robin #15 Time to say Goodbye

「おれはお前を Witch だとは思っていない」 © 亜門.

なんか最終回みたいな雰囲気で始まるが,第一部の終わり.

  • いつもの OP "Shell" はなし. "Open Your Eyes" の不気味バージョンに載せて,台詞は堂島「ケイトをハントしたの,亜門だったんじゃないの?」[この答えはラスト近くで明かされる.]から始まる.このあとからはロビンが横になっているソファに対面する形で,メトセラの魔女「お前もけっきょくはサトゥルヌスの末裔に過ぎないのかい?」,コーション審問官「もう逢うこともないだろう」.最後の亜門は台詞なし.
  • 例の対 Witch 弾を使用できるハンターの一人,エフゲニー・キタエンコ (Evgeny Kitajenko) → エフゲニー・スヴェトラーノフ + ドミートリイ・キタエンコ (サンクドペテルブルク生まれ) という,トップ・クラスのハンター.
  • STNJ とファクトリー,ソロモンとの関係は?  STNJ はソロモンの下部組織.ファクトリーは STN* の併設機関で研究開発を手掛ける組織ってこと? んで日本のファクトリーは特殊な実行部隊も持っている,と.
  • 警察力を行使することが出来て張り切ってる小坂署長を,さらに張り切って仕切る堂島.烏丸と榊ぽか〜ん.亜門は不在.
  • 守衛さんの『世界の占い大全集』.監修はバーバラ・カ???.サンライズ出版刊.税ぬき ¥1,900 で ISBN6-62194-622-8. 6 ってどこだ?
  • 亜門から話を聞いたと, Harry's のマスターがスペシャル・ランチの差し入れ.瞳子は未だ昏睡状態.
  • 堂島の報告によると,キタエンコは二年前の入国直後に殺されていた.う〜ん,堂島は何か企んでそうだけど,この報告は信用してエエのんかぃ.
  • ↑を受けて烏丸の指摘「確か,もう一人その銃弾を使える人間がいたわね.亜門よ」.これが堂島の狙い?
  • 瞳子の部屋で精神集中している (?) 亜門.
  • STNJ 内の監視カメラが次々とオフに.セキュリティが解除される.装甲車に乗ったフル装備集団が STNJ 本部を襲撃.この時点で本部にいたのは守衛さん,署長,烏丸,榊,マイケル,ロビン.マイケルは胸を撃たれる.烏丸は左肩.榊は右胸.署長も真正面から撃たれる.画面からは外れているが服部氏も撃たれたもよう.ロビンは,間一髪で乗り込んで来た亜門の発光弾で救われ,亜門とともに階下へ逃走.「やつらはお前をハントするつもりだ.お前の力は危険と判断された」.ロビンの前任者ケイトのハントの経緯.亜門「そうだ,おれがケイトをハントした.彼女は STNJ の秘密を持ち出そうとしていた.自らの欲望のために.いや,違う.彼女がおれたちを裏切ったのは,自分自身から逃れるためだった.ケイトは知っていたんだ.心のバランスを失いながらも,自分の力,クラフトの力を抑え切れなくなった自分が,いつか Witch としてハントされる側になるということ.その恐怖に耐え切れなくなって,いつしか死を望むようになっていた」.
  • 一階まで降りて来て,陽動でロビンに壁を壊させたあと,亜門,中央の埋め立て井戸のように見える構造物からロビンを逃がす.「おれに何かあったら,この人を頼れ」と「ロビン,今度逢うときは」.銃声数発.亜門,倒れるが死んではいない.
  • ED は通常の "Half Pain" ではなくて, "Shell" のギター・ソロ・バージョン.

ハント対象

ロビン.財前の電話での受け答え「そんな話は聞いてない」と「今回は眼を瞑ろう」から,ソロモン本部からの指示であったことが伺える.

1) 亜門は財前からロビンのハントを見過ごすようにと命令されていたと言うが,なら前回の現場でロビンを狙撃したのは誰? 亜門じゃなくてソロモン本部のものだったすると,なぜ亜門は薬莢を廃棄する? なので,このときはソロモン本部の指示で亜門が (現場で) ハントすることになってたんだろか. 2) これに亜門が二回失敗したので下がらせて,ソロモン本部隊が瞳子宅でのハントということになったのか? ここでは亜門はまったく介入してないように見えるが,実は何かやってたのか? 烏丸と榊の突入を止めなかったこと?  3) STNJ オフィスを襲撃したものと 2) の実行部隊はファクトリーだったってぇのはダメ?

魔女の槌|魔女に与える鉄槌

ED で赤い背景に薄く見えるのは,ハインリヒ・インスティトーリスの "Malleus Maleficarum" (『魔女の槌』あるいは『魔女に与える鉄槌』) だそうである.こんな薄いの,佳く読めるな.この本は,魔女狩り,あるいは異端審問に理論的な基礎を与えるものだったそうだが,この著者 (の一人) 名前から直ちに想起されるのは『ファウストゥス博士』の方だな〜.イーネス・ロッデの夫となるヘルムート・インスティトーリスは,美学者で美術史家.彼はブロンドで頭が長く,むしろ小柄ながらまことに優雅な男で,髪に分け目を入れ,少しポマードをつけて,ぴったりと撫でつけていた.ブロンドの髭が軽く口を覆い,金縁のメガネの奥に繊細で高貴な表情を湛えた青い眼が光っていたが,この表情から理解し難いのは——あるいはまさに理解できることだったろうか——彼が残酷なものに,無論それが美しい場合に限られていたが,敬意を表していることであった.[トーマス・マン "ファウストゥス博士", トーマス・マン全集 VI, 円子修平 訳, 新潮社, 1971, 1976, p. 292., (Thomas Mann "Doktor Faustus", . Das Leben des deutschen Tonsetzers Adrian Leverkühn, erzählt von einem Freunde, 1947).]

次回予告

Three hundred and twenty years have passed since the coven sank in the dark. A detached past. An unknown future. The sealed present.The forgotten past keeps whispering the words of darkness in a dry cage.

コヴェンが闇に沈みし時より三百と二十の年.断ち切られた昨日.見えない明日.閉ざされた今.乾いた檻の中で置き忘れた過去が,闇の言葉を囁く.

2007年9月17日月曜日

折口信夫『死者の書・身毒丸』

天若日子として数十年後に墓所から蘇った大津皇子が耳面刀自としての横佩家の藤原南家郎女魂を呼ぶ.郎女は 当麻曼荼羅 を残して極楽往生するという超自然的癒し系ホラー (をい).郎女の父親の横佩右大臣藤原豊成が太宰員外帥に貶されて難波で謹慎中なので, 756- 764 年辺りの出来事か.
以下の出典は 1999 年の新字旧仮名新編集版『死者の書・身毒丸』*1から.
  1. (オラ)び声」,「(ワメ)き声」, p. 12., 「おらぶ」って,古語が方言として残ったものだったのか.
  2. 此世の悪心, p. 33., 憎悪とか怨念とか呪いとか.
  3. 天若日子, p. 36., 「天の神々に弓引いた罪ある神」.
  4. 其後,人の世になつても,氏貴い家々の娘御の閨の戸までも,忍びよると申しまする.世に言ふ「天若みこ」と言ふのが,其でおざります., p. 36., →それは牡丹燈籠,何かが道を!山越しの阿弥陀の姿をしてるんだろ? アスタータ 50 への導の門だ! (をい)
  5. 「もゝつたふ」の歌,残された飛鳥の宮の執心びと,世々の藤原の一の媛に祟る天若みこも,顏清く,声心惹く天若みこのやはり,一人でおざりまする., p. 36., =大津皇子
  6. 滋賀津彦, p. 37., =大津皇子
  7. まろこ,麻呂子山,まろ子, p. 44., 「まろ子といふのは,尊い御一族だけに用ゐられる語で,おれの子といふほどの,意味であつた.」
  8. (クハ)(), p. 82., → "Ghost in the Shell" の『謡』 (BMGビクター, BVCR729, 1995) では「麗し女」
  9. (クハ)(), (サカ)(), 物忌み—たぶう—, p. 84.
  10. 家の刀自たちが,物語る口癖を,さつきから思ひ出して居た〜自分であるやうな気がして来る. pp. 90-91., 出雲宿禰分家嬢子の鶯変身譚
  11. 法喜——飛ぶ鳥すらも,美しいみ仏の詞に,感けて鳴くのではなろうか. p. 92., 鶯の鳴き声は,ほゝき ほゝきい ほゝほきい
  12. ほゝき鳥は,先の世で,〜切なく鳴き続けることであらう. p. 95., → Air, また,ほゝき→法喜→法華
  13. (ウテナ), p. 101.,
  14. 長い渚を歩いて行く.〜自身明らかに目が覚めた. pp. 107-109., → Air,最も美しいシーン.
  15. この中申し上げた滋賀津彦は,やはり隼別でもおざりました.天若日子でもおざりました.天の日に矢を射かける——.併し,極みなく美しいお人でおざりましたがよ. p. 146., 天若日子→「天の日に矢を射かける」もの. p. 36 では「天の神々に弓引いた罪ある神」.書紀では天稚彦.隼別→應神天皇皇子.書紀では隼總別皇子 (第十),隼別皇子 (第十一).古事記では速総別王,応神記では速総別命.大鷦鷯天皇 (仁徳天皇) と雌鳥皇女を争って負け,謀反の疑いありとして殺される.この三人はいずれも応神天皇の異母兄弟姉妹.この話はトーマス・マンの『ファウストゥス博士』のエピソード,アードリアーン・レーヴァーキューンがヴァイオリニストのルードルフ・シュヴェールトフェーガーを使者に立ててマリー・ゴドーに求婚した顛末を思わせる.間に立ったシュヴェールトフェーガーはマリーと婚約し,嫉妬で逆上したイーネス・インスティトーリスに射殺される.狂を発する直前のレーヴァーキューンの告悔は「しかしそのために私はその男を殺し,(マギステルルス)が強制し指図するままにその男を死へと追いやらねばなりませんでした」*2
  16. 何を思案遊ばす.〜早くお縫ひあそばされ. p. 148., 夢の指示
  17. 淡路の島は愚か,海の波すら見えぬ,煤ふる西の宮に向つて,くるめき入る日を見送りに出る.この種の日想観なら,「弱法師」の上にも見えてゐた. p. 168.,
  18. 熊野では,これを普陀落渡海と言うた. p. 169., ←補陀落渡海
  19. 日想観もやはり,其と同じ,必極楽東門に達するものと信じて,謂はゞ法悦からした入水死である. p. 169.,
  20. 三久留部,三廻部, p. 184., いずれも,読みは「ミクルベ」
  21. 即,目眩(メクルメ)く如く,三尊の光転旋して直視することの出来ぬことを表す語とも見られるのである.即みくるべめくるめ又は,めくるめきであらうと思ふのは誤りか., pp 184-185., →『恋のミクル伝説』〜目眩伝説,三久留伝説,三廻伝説.ちなみに,若林鏡太郎博士曰く,「……このドグラ・マグラという言葉は,維新前後までは切支丹伴天連の使う幻魔術のことを言った長崎地方の方言だそうで, (中略) 『堂廻目眩』『戸惑面喰』という字を当てて,おなじように『ドグラ・マグラ』と読ませてもよろしいというお話ですが, (後略)*3」.
Air』 () から『涼宮ハルヒの憂鬱』までカバー (笑).
  • 折口信夫 "死者の書・身毒丸", 中公文庫, 1974, 1999, 2006, ISBN4-12-203442-6
寺山修司の『身毒丸』はこちらの身毒丸とどんな関係があるんだろう.

青空文庫から

  1. 死者の書 ——初稿版—— 新字旧仮名
  2. 死者の書 旧字旧仮名
  3. 死者の書 新字新仮名
  4. 死者の書 続編(草稿) 旧字旧仮名
  5. 山越しの阿弥陀像の画因 新字旧仮名
  6. 山越しの阿弥陀像の画因 旧字旧仮名
  7. 山越しの阿弥陀像の画因 新字新仮名
  8. 身毒丸 新字旧仮名
全部読めるのか〜 (笑).

藤原郎女

生没年不詳.ここでモデルになっているのは当麻寺の 中将姫 (747-775).自作解説『山越しの阿弥陀像の画因』によると,まず未完の短編『神の嫁』で中将姫の事績に関して書き始めて中断したあと,横佩垣内の大臣家の姫の失踪事件についれ書き出した挙げ句に「尻きれとんぼう」になった.その後,やっと「ゑぢぷともどき」の『死者の書』として結実*4.「私の女主人公南家藤原郎女」と明記した*5

耳面刀自

藤原郎女の祖父の叔母に当たる.大織冠藤原鎌足の娘.大友皇子 (弘文天皇, 648-672) の妃の一人.壬申の乱で大友皇子が自決したあとの行方は全く不明だそうで,いろんな伝説を生んだらしい.

大津皇子

663-686. 天武天皇皇子. 686 (朱鳥元) 年謀反を企てたとして捕らえられて訳語田の舎で刑死.享年二十四.その際,妃皇女(みめみこ)山邊(やまのへ),髮を(くだしみだ)して徒跣(そあし)にして,(はし)()きて(ともにし)ぬ.見る者皆歔欷(なげ)*6とあるのが何とも哀れ.
郎女から見た大津皇子の描写*7
言ふとほり,昔びとの宿執が,かうして自分を導いて来たことは,まことに違ひないであらう.其にしても,ついしか見ぬお姿——尊い御仏と申すやうな相好が,其お方とは思はれぬ.
春秋の彼岸中日,入り方の光り輝く雲の上に,まざ〴〵と見たお姿.此日本の国の人とは思はれぬ.だが,自分のまだ知らぬこの国の男子たちには,あゝ言ふ方もあるのか知らぬ.金色の鬣,金色の髮の豐かに垂れかゝる片肌は,白々と袒いで美しい肩.ふくよかなお顏は,鼻隆く,眉秀で,夢見るやうにまみを伏せて,右手は乳の辺に挙げ,脇の下に垂れた左手は,ふくよかな掌を見せて,……あゝ雲の上に朱の唇,匂ひやかにほゝ笑まれると見た……その俤.
日のみ子さまの御側仕へのお人の中には,あの樣な人もおいでになるものだらうか.我が家の父や,兄人たちも,世間の男たちとは,とりわけてお美しい,と女たちは噂するが,其すら似もつかぬ…….
(中略)
その飛鳥の宮の日のみ子さまに仕えた,と言ふお方は,昔の罪びとらしいに,其が又何とした訣で,姫の前に立ち現われては,神々しく見えるであらうぞ.
当麻の語部の姥の誦り.
とぶとりの 飛鳥の都に,日のみ子樣のおそば近く侍る尊いおん方.さゝなみの大津の宮に人となり,唐土の学芸に詣り深く,詩も,此国ではじめて作られたは,大友皇子か,其とも此お方か,と申し伝へられる御方.*8
併し,極みなく美しいお人でおざりましたがよ. (名無しの尼/当麻語部姥)*9

『日本書紀』から*10
皇子大津は,天渟中原瀛眞人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと) (天武天皇) の第三子(みはしらにあたりたまふみこ)なり.容止(みかほ)(たか)(さが)しくて,音辭(みことば)(すぐ)(あきらか)なり.天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと) (天智天皇) の為に(めぐ)まれたてまつりたまふ.(ひととなる)(いた)りて(わきわき)しくして才學(かど)()す.(もと)文筆(ふみつくること)(この)みたまふ.詩賦の(おこり),大津より始れり.
皇子大津,天渟中原瀛眞人天皇第三子也.容止墻岸,音辭俊朗,為天命開別天皇所愛.及長辨有才學.尤愛文筆.詩賦之興,自大津始也.
才人だったらしいですな〜.この辺り,皇位継承が入り組んでるけど,天武天皇妃である大田皇女の息子である彼は,伯母である鸕野讚良 (天武天皇皇后.のちの持統天皇) に滅ぼされたのか.大田皇女は大津皇子が五歳の時に亡くなっている.
  1.  折口信夫 "死者の書・身毒丸", 中公文庫, 1974, 1999, 2006, ISBN4-12-203442-6.
  2.  トーマス・マン "ファウストゥス博士", トーマス・マン全集 VI, 円子修平 訳, 新潮社, 1971, 1976, p. 512., (Thomas Mann "Doktor Faustus", . Das Leben des deutschen Tonsetzers Adrian Leverkühn, erzählt von einem Freunde, 1947).
  3.  夢野久作 "ドグラ・マグラ", 三一書房, 1969, p. 54.
  4.  折口 op.cit., pp. 163-164.
  5.  ibid., p. 185.
  6.  坂本太郎, 家永三郎, 井上光貞, 大野晋 校注 "日本書紀", 下巻, 日本古典文学大系 #68, 岩波書店, 1965, 1987, ISBN4-00-060068-0, p. 486.
  7.  折口 op.cit., pp. 34-35.
  8.  ibid., p. 32.
  9.  ibid., p. 146.
  10.  坂本ほか op.cit., pp. 486-487.

2004年5月28日金曜日

トーマス・マン『ファウストゥス博士』

 さすがにこの分量 (後述) だと時間が掛かる.

  • トーマス・マン "ファウストゥス博士", トーマス・マン全集 第 6 巻 円子修平 訳, 新潮社, 1971, 1976, 表題の他に, "ファウストゥスについて", 円子修平 訳, "『ファウストゥス博士』の成立", 佐藤晃一 訳 を含む. (Thomas Mann "Doktor Faustus", 1947, "Über den >Faustus<", 1948, "Die Entstehung des Doktor Faustus", 1949)

 高校 3 年の 6 月に買っている.もちろん実家には置いてあるであろう分は別にして,手元にあるのでもこれより古い本はたくさんあるけど,これより古い時期に買ったものはごく少ないというより思い付かない.途中抜けがあるものの,それ以来ずっと手元に置いてきたわけだ.最初に読んだのは高校の図書館から借り出したものだが,なにせ長大な小説である.一冊分丸々だと 26 字 x 24 行 x 2 段組 x 665 pp ある.単純計算で 400 字詰原稿用紙 2075 枚に相当する.携帯に楽なようにと後に入手した岩波文庫だと 3 分冊になっているぐらいだ.まぁ借りて読んでしまえばそこで終わりなのかも知れないが,この本の場合はちょっと違う.実はこの本のことを知ったのは小学生の頃だ.ヤなガキだな,おい (笑).なんせ話が話なんで子ども向きにリライトできるようなもんでもなく,中学まではおあずけだったのだが,やっと高校に入って巡り会った訳である.読んでしまって是非手元にも置いておきたくなって入手,というか買ってもらった.このとき岩波文庫版を知っていたのかどうかは不明.

 この長大な小説は副題のとおりファウスト伝説をベースに据えてニーチェの生涯にシェーンベルクの音楽理論を重ね合わせて綴った, 一友人によって物語られたドイツの作曲家アードリアーン・レーヴァーキューンの生涯 (Das Leben des deutschen Tonsetzers Adrian Leverkühn erzählt von einem Freunde) なのだが,クラリッサの自殺の件など自伝的要素も含まれている.執筆開始は 1943 年の春である. 1933 年,ナチス政権樹立の年にスイスに亡命, 1938 年にはアメリカに亡命していた.第二次大戦ももはや先が見えている頃だ.完成は終戦後になったが,主人公の精神崩壊は同時にドイツ精神史の破滅と崩壊でもある.それを作者は遠い異国の地からじりじりするような焦燥感に駆られつつも注視しているわけだ.まぁ,そんなことはどうでもよい.とにかくこの本も読み出すと止まらないから,思いっきり読みまくれば佳い.

 有名なヴェンデル・クレッチュマルの講義「ベートーヴェンは何故ピアノ・ソナタ作品 111 に第三楽章を書かなかったか」は pp.54-59.恥ずかしながらバックハウスを聴いたのはこれを読んでからだったりする.この頃,九州で医者をやってる同級生に借りたポリーニのアナログ盤は,あとになって CD を買った.その後グルダの全集も入手したけど,刷り込みでポリーニのがリファレンスになってる.

 ルドルフ・シュヴェールトフェーガーが主人公にヴァイオリン協奏曲を要請する場面, あなたならきっとすばらしい作品が,デリアスやプロコフィエフよりも遙かに立派な作品が出来るだろう と,唐突に Delius の名前が出てきているのに気付いた.お〜,第一次大戦後はドイツでは Delius は忌避されていたという話だが,アメリカだと事情が異なるのかな.アドルノの手が入ってるのかな.そうなんですよ,楽理関係はアドルノの校訂が入ってるのだ.とまれ,トーマス・マン (あるいはアドルノ) にとってはディーリアスの協奏曲はそういうポジションにあったということで.

 たぶん,もっとも印象的なのは,以下の部分だろう.

 わたしは部屋を出ようとした,すると彼はわたしを姓で呼んで引止めた,「ツァイトブローム!」と呼んだのである,その声にもきわめて厳しい響きがあった.そして,わたしが振り向くと, 「ぼくは発見した」と彼は言った,「あれは在ってはならないのだ」 「何が,アードリアーン,何が在ってはならないのだ?」 「善であり高貴であるものだ」と彼は答えた,「人が人間的なるものと呼ぶものは,善であり高貴であるにもかかわらず,在ってはならないのだ.そのために人類が戦い,そのために圧政の城を襲撃し,そして遂に戦いに勝ったものたちが歓声を挙げながら告知したもの,それは在ってはならないのだ.それは撤回されるだろう.ぼくがそれを撤回しよう」 「ぼくには,アードリアーン,君の言うことがよくわからない.君は何を撤回しようというのだ?」 「第九交響曲」と彼は答えた.そしてわたしは待っていたけれども,彼はもう何も言わなかった.

[新潮社版 p. 489 より ]

 全集版は持ち運びに不便な代わりに,「成立」が収録されているという利点がある.ゼレンとアードリィは同一人物である (p. 579) なんて記述があったりして侮れない.レーヴァーキューンの死をツァイトブロームが語るという構図は,もしかしたら狡猾で圧倒的な音楽の暴力に対する文学の復讐なのかも知れない.あまりに単純ではあるけど.

 ところで, May 27, 2004 現在,岩波文庫も絶版で入手困難になってるみたい.いやはや困ったもんだね、全く.まぁ,おれが持ってるのも 1996 年のリクエスト復刊っつ〜腰巻きしてるから大きなこと言えんけどさ.とにかく書誌データでも挙げとこ.

  • トーマス・マン "ファウスト博士", 全 3 冊 関泰祐, 関楠生 訳, 岩波文庫, 1974, 1996, ISBN4-00-324344-7, ISBN4-00-324345-5, ISBN4-00-324346-3