ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.
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2009年8月20日木曜日

テスカトリポカ拾遺

Dal のシリーズに,テスカトリポカという名称を二分割したものがある. TezcaLipoca がソレ. プーリップカスタムまとめ Wiki*この2体のネーミング元は、アステカ神話に登場するテスカトリポカ(Tezcatlipoca)という双子の神に由来する。という記述がある (その他/まめ知識 - プーリップカスタムまとめ Wiki*).そこには続いてアステカ神話を知った上でテスカとリポカをお迎えすると、魅力が増すかもしれない。とある.アステカ神話ということで,もしかしてと思い,ちょいと調べてみた.結論:これは (も) 人身御供を要求する神だった (笑).

Bataille "La part maudite", Minuit

まずはバタイユ,ミニュイ版『呪われた部分』第二部の〔一〕アステカ族の供犠と戦争から,ベルナルディノ・デ・サーグンの引用をベースにしている.

まず「三 メキシコの人身御供」まるごと.

メキシコの人身御供についてはさらに古い時代のものよりも完全で生々しいかたちで知られているが,それは一連の残酷な宗教的儀式の中で恐らく恐怖の一高峰を打ち建てるものだ.

神官たちはピラミッドの頂で生贄を殺害するのだった.生贄を石の祭壇の上に横たえ,黒曜石の短刀でその胸を突き刺した.まだ脈打っている心臓を抜き取り,そんなふうにしてそれを太陽に向かって差しのべるのだった.生贄はほとんど戦争の捕虜であり,そうすることによって戦争が太陽の生命にとって必要であるという考え方を正当化するのだった.すなわち戦争は征服ではなく,蕩尽の意味を持っており,そしてメキシコ人はもし戦争がとだえれば,太陽は輝くのをやめるだろうと考えていた.

「復活祭の頃から」,若く,しかも申し分なく美しい,一人の男を生贄に捧げる準備に取りかかる.彼は一年まえ捕虜の中から選び出されたのである.以来彼は王侯のような暮らしを続けてきた.「彼は手に花を持って,共の連中に囲まれ,町中を練り歩くのだった.出くわす連中に一人残らず愛想よくあいさつし,片や,人々は,彼をテズカトリポカ (最も偉大な神々の一人) の化身とみなし,彼の前に跪き,崇めるのだった」.時々彼はカウチクシカルコのピラミッドの頂にある神殿にいるのが見られた.「昼夜を問わず,気が向けばそこに赴き,その場所で横笛を奏で,吹き終えると,世界の他の諸々の部分に向かって香をたき,それから宿所へ戻るのだった」.彼の暮らしの優雅と殿様並の待遇のためには為されない心遣いはなかった.「もし彼が肥れば,そのほっそりとした体型を保たせるために,飲みものには塩水を与えるのだった.犠祭の三週間前に,その若者には四人の美しい娘が与えられ,彼女たちとその三週間のあいだ肉体の交渉を持つ.彼に宛がわれるその四人の娘たちもまた,この目的のために大切に育てられてきたのである.彼女らには四人の女神の名前が与えられ (中略).生贄に供される祭礼の五日前に,犠牲者は神としての礼を捧げられる.王は宮廷にとどまり,いっぽう廷臣たちはその若者のあとにつき従うのだった.彼のために涼しく快適な場所で饗宴が設けられる (中略).その死の当日がやってくると,かれはトラコクカルコと呼ばれる祈祷所へ導かれる.だがそこに到着する前に.トラピツァナヤンと名付けられた地点に至ると,彼の妻たちは彼から離れ彼を一人きりにする.死を授からねばならぬ場所に到着すると,彼は自らその神殿の階段を登り,そして一段ごとに,まる一年のあいだ楽を奏でるのに役立ってきた横笛を一つずつ折るのだった頂に到着すると,彼に死を与える準備を整えた暴君 (神官) たちが,彼をとらえ,まな板の上に投げ倒し,そして手足と頭をしっかり押さえつけ仰向けに寝かせているあいだに,黒曜石の短刀を手にした男がそれを彼の胸にぐさりと突き立て,そしてそれを抜き取ったあと,短刀によって出来たばかりの傷口に手を差し入れ,心臓をえぐり取り,すぐさまそれを太陽に捧げるのだった」.

その若者の死体は低調に扱われた.それは神殿の中庭に静々と降ろされる.並みの犠牲者の場合はその階段から下へ投げおろされる.最大の暴力が日常茶飯事になっていた.死者の皮は剥がされ,神官がさっそくその血まみれの皮を身にまとうのだった.何人もひとまとめにして大籠の中に投げ込まれることもあった.そこから熊手ですくい上げ,まだ生きたままでまな板の上に置かれるのだった.犠祭が聖別した肉はたいてい人々の口に入って喰われるのが慣わしだった.祭犠は滞りなく続けられ,毎年聖なる奉仕は無数の生贄を要求した.その数二万とかぞえられる.刑死者のうち神の化身である一人は,神にふさわしく,死出の旅の道連れである見物人に取り囲まれて犠牲台に登るのだった.

[ バタイユ "呪われた部分", 生田耕作 訳, 二見書房, 1973, 1995, ISBN4-576-00023-3, pp.63-65, (Georges Bataille "La part maudite", 1949, 1967, 1971) より ]

次に「五 戦争の宗教性」から.

捕虜を連れ帰った者は聖なる劇において神官に劣らぬ役割を演じるのだった.犠牲者の血のうち,傷口から流れ出た最初の一鉢は,神官たちによって太陽に捧げられた.二杯目は生贄奉納者によって採血される.奉納者は神々の像の前に赴き,それらの唇を温かい血で潤すのだった.犠牲者の骸は奉納者に返される.彼はそれを家に持ち帰り,首だけを取りのけ,残りは塩も唐がらしも加えず火を通し,宴会の席で食われるのだった.ただし招待客たちによってであり,生贄を自分の息子と,いま一人の自分と見なしていた奉納者よってではない.饗宴をしめくくる踊りには,戦士がその首を片手に携えて参加するのだった.

もし戦士が勝利者として帰還する代わりに自ら斃れるなら,戦場における彼の死はその捕虜の生贄の儀式と同じ意味をもつことになる.糧に飢えた神々の腹をこやすことにかわりないわけだ.

兵士たちのためにテズカトリポカへ捧げる祈りの中では次のように唱えられた.

「まこと,かの者らが戦で果てんことを望まるる御心に謬りなし.けだし彼らをこの世に下されし趣は,その血と肉もて,日と地の御食となさんがために他ならざればなり」.

血と肉で満腹すると,太陽はその宮殿に霊魂を招く,こうしてその場所で戦死者たちは,生贄となった虜囚たちと混じり合う.戦闘における死の意味は同じ祈りの中で力説されている.

「願わくは,かの者らを猛く雄々しくあらしめ給え,その胸より弱き心を悉く除き去り給え,嬉々として死を迎うるのみならず,そを冀い,そがうちに暖かき誘いを見出さしめんがために.征矢をも剣をも恐れず,むしろ花のごとく,旨し糧のごとく,そを心地よき事柄と思いなさしめんがために」.

[ バタイユ "呪われた部分", 生田耕作 訳, 二見書房, 1973, 1995, ISBN4-576-00023-3, pp.69-70, (Georges Bataille "La part maudite", 1949, 1967, 1971) より ]

Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La part maudite", Gallimard

続いてガリマール版.上記内容は同じだが,章分けとタイトルが多少異なっている.なお,ミニュイ版の「三週間前」はガリマール版では「二〇日前」となっている.また,テズカトリポカという名称も,最初の出典時には「テスカポリトカ」になっている.二回目では「テズカトリポカ」.初回のソレが翻訳時の誤植なのかどうかは不明.バタイユ "呪われた部分 有用性の限界", 中山元 訳, ちくま学芸文庫, 2003, ISBN4-480-08747-8, pp.57-59, 63-64, (Georges Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La part maudite", 1976).

古代メキシコの神々は,血を貪り飲む神々であり,この神々だけが,栄誉のある世界と人間の世界の一致を保証していた.そしてこの偶像が見捨てられた瞬間から,豪奢なものを目指す意志は脅威にさらされ,あやういものになったのである,それとともに,すべての形式の非生産的な浪費に,たえず異議が申し立てられることになった.陰鬱で理性的な思考と存在の形式が,しだいに領域を拡大していった.素朴な文明は,計算する文明によって次々と破壊されるか,面目を失ったのである.

アステカ社会が破壊されてからというもの,世界のすべての場所で,それまで大衆の幻想や夢,習慣や新年を定めていたものが,合理的な実践と合理的な観念に譲ったのである.

[ バタイユ "呪われた部分 有用性の限界", 中山元 訳, ちくま学芸文庫, 2003, ISBN4-480-08747-8, pp.235, (Georges Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La part maudite", 1976) より ]

Girard "La Violence et le Sacré",

ジラールの『暴力と聖なるもの』には「テスカトリポカ」という名称は出て来ないが,アステカの人身御供に関して短い記述がある.

アステカ族の供犠の場合には,いけにえの選定とその殺害の間には,ある時間が経過する.その期間,人々は,やがて供犠される者の欲望を満たすために何でもする.彼の前にひざまずいて礼拝し,彼の衣服にさわろうとしてひしめき合う.この未来のいけにえが《真の神性》として扱われ,あるいは《一種の名誉王権》を行使すると断言しても誇張ではない.一切は少し後に,残酷な死刑執行で終わる…….

[ ルネ・ジラール "暴力と聖なるもの", 古田幸男 訳, 法政大学出版局, 1982, p. 486. (René Girard "La Violence et le Sacré", 1972) より ]

ここにジラールが言っている「アステカ族の供犠」とはバタイユが述べているテスカトリポカの人身御供と同じもののように思われる.もっとも,この本の参考文献リストにはサーグンの著書もバタイユの『呪われた部分』は揚がっていない (『エロティシズム』は揚げられている).

2007年6月3日日曜日

Noir #26 誕生

銃声二発

「真に必要なのは純粋なる刃.あらゆる呪縛から解き放たれた至高の存在.そう,ノワールが復活したとき,そのときこそ初めて le grand retour を,原初ソルダの理想を実現することが出来るのです」 © アルテナさま.
 「万物はそこから生まれ,必然にしたがって,そこにむかって消滅してゆかねばならない.なぜなら万物は,きめられた時にしたがって,それらが犯した邪悪のために,互いに罰を与え合い,互いに贖罪を割り当てるからである」 © ルネ・ジラール[ルネ・ジラール "暴力と聖なるもの", 古田幸男 訳, 法政大学出版局, 1982, p. 490. (René Girard "La Violence et le Sacré", 1972)]

泣こうが喚こうが最終回である.突入前の霧香の台詞「わたし,もう逃げない」,いや,その手の世迷い事はもうエエから (笑).アルテナさま原理主義者のクロエが退場し.霧香がサンスの人ミレイユと合流してしまったので,アルテナさまの独擅場になった感がある. 第二十話 に続き,アルテナ節が入る々々.

アルテナさまの計画には確かに「そこにクロエどころかアルテナさますら不在であっても,その目的が必然的に果たされるような,あるいは作者を葬り去るような仕掛け」らしきものが施されていたように思われるが,その結末は曖昧である.最終的に登場人物が作者を葬り去ることで「純粋なる暴力 (の発動を一身に受け止めるもの)」が顕現するはずだったのだが,最後の最後に至って,作者を葬り去ったのは作者自身だった.なぜか.登場人物はアルテナさまを葬ると同時に自らの存在をも消すことを選んだからである.これでは実験にならない.よって次善の策として作者自らその存在を消すと同時に登場人物が生き抜くことを余儀なくさせる方法を選んだわけである.

ラストの銃声二発,確かに二種類の音が聞こえて来る.順当に考えれば,国境地帯に出張っぱりだったユニット・ノワール,二人揃ってようやく新装オープン致しましたってなところ.そうじゃない場合があるだろうか. 1) 第一話 でミレイユが呈示していた「約束」が履行された.う〜ん,ミレイユは両親の仇はアルテナさまに全部おっ被せていたようなので,もうコレはないと思う.それに,この場合は銃声は一発で充分なはず. 2) ソルダの配下に収まることを拒んだ二人をソルダ連が襲う.ソルダ側にすればアルテナさまの独裁が阻止できればエエはず.「パリの騎士たち」とやらが手も足も出せなかった二人をまた敵に回して襲撃する可能性は低い.いくらボンクラだとしても,倒せない相手とは組むのが得策ぐらいは判っているだろう.それにブレフォールはボンクラじゃなさそうだし.

さて,もっと戯言を続けよう. MK (Mëkanïk Kommandöh) ノワールが舘に突入する際にはあった「わたしたちはノワール」という名乗りが,出てくるときにはなくなっているばかりか,評議員たちの「ノワール」を否定している.にも関わらず,いずれも「闇の暗さ」を背負っていることは宣言済みである. MK ノワールはアルテナさま推奨のノワールになることは拒否したが,ほんとうにそうだろうか.アルテナさまは繰り返し「大切なのは古の刃を再び世界にもたらすこと」,「真に必要なのは純粋なる刃.あらゆる呪縛から解き放たれた至高の存在」と語っているが,これを純粋な暴力を外部に抽出することと考えてしまってはマズいのではないか.アルテナさまは同時に「誰かが罪を背負わねばならない」,「ノワールは罪を重ねて来た.その罪は永久に消えるものではありません.その罪は人の世がある限り必要なものだから」,「人の業に対する贖罪」とも語っている.むしろアルテナさまがノワールに求めていたものは,「メキシコ人の人身御供[ジョルジュ・バタイユ "呪われた部分", 生田耕作 訳, 二見書房, 1973, 1995, ISBN4-576-00023-3, pp. 63-65. (Georges Bataille "La Part Maudite", 1949)] (メキシコにおける人間の供犠[ジョルジュ・バタイユ "呪われた部分 有用性の限界", 中山元 訳, ちくま学芸文庫, 2003, ISBN4-480-08747-8, p. 56-61., (Georges Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La Part Maudite", 1976)])」のようなもの,「二重の意味で救済的なメカニズム[二重の意味で救済的なメカニズム.

贖罪のいけにえのメカニズムは二重の意味で救済的である.それは,満場一致を実現することによって,暴力が語りかける一切の領域で暴力を沈黙させる.それは近親者が互いに争うことを妨げ,人間の真実が,あらわに姿をみせることを妨げる.それは,人間の真実を理解し難い神性として,人間の外に措定する.

捕虜はその一身に,共同体内のあらゆる内的緊張,蓄積した一切の憎悪と怨恨を引き寄せなければならない.人々は彼に,その死によって,そうした一切の悪しき暴力を良き聖なるものに変形することを求め,その力強さを,衰弱し疲労した文化秩序に返すことをねがうのである.したがって,儀礼としての食人肉は,われわれがこれまでに見て来たすべてのそれに類似した一つの儀礼なのである.もしチュピナムバ族がそのように行動しているとすれば,それは,彼らがある手本に従っているからである.あるいはむしろ,その儀礼体系が,チュピナムバ族のためにその手本に従っているからであると言った方がいい.彼らもまた,最初におこったことを再現し,贖罪のいけにえのまわりに過去に成立し,何度も成立した満場一致を,もう一度,復活させようと努めるのである.捕虜が二重の扱いの対象となるとすれば,そして彼がある時は貶められ,ある時は尊重されるとすれば,それは,原初のいけにえを表象するものとしての彼の資格においてである.彼が暴力を遍在化せず,彼がまだ暴力を変形しない限り憎むべきものであるその捕虜は,彼が暴力を変形し,彼がもう一度,贖罪のいけにえの共同体統合のメカニズムを働かせるものとなることによって,無限に崇拝すべきものとなるのである.いけにえがまずはじめに醜悪きわまりないもののように見えれば見えるほど,そしてそれによって遍在化された情念が猛烈であればあるほど,それだけそのメカニズムは徹底的に活動するであろう

[ ルネ・ジラール "暴力と聖なるもの", 古田幸男 訳, 法政大学出版局, 1982, p. 445. (René Girard "La Violence et le Sacré", 1972) より ]

]」ではないのか.ひび割れた床に転がっている壊れた懐中時計がスクロールして入って来る.投げ上げて落ちて来た衝撃で飛んだのだろう,針はない.つまり時間から独立している=時に忘れられた場所.そこに銃声が二発.これは「業の歴史は繰り返される.際限もなく,永遠に」なのではないか.アルテナさまの目論みは成功したのではないか[これは「業の歴史は繰り返される.際限もなく,永遠に」なのではないか.アルテナさまの目論みは成功したのではないか.

ほんの僅かな暴力でも,大動乱をひきおこすエスカレーションの源になり得る.断じて古びることのないこの真理が,たとえ今では,すくなくともわれわれの日常生活においてほとんど見えにくくなっているとはいえ,われわれは誰でも,暴力を目の前にした時,何か《伝染する》ものがあることを知っている.実際,時には,そうした感染からほとんど身をかわすことができないのである.暴力に対する非許容も,結局のところ,暴力を許容することと同様,持って生まれた運命的なものであることがわかる.暴力がはっきりとした姿をあらわした時,進んで,むしろ嬉々として身をまかせる人々がいる.逆に暴力の展開に抗する他の人々がいる.だが,暴力が席捲することを可能にするのは,しばしば彼らである.いかなる規範も普遍的に妥当ではないし,いかなる原理も結局は対抗することができないのだ.決して妥協しないことも,妥協することも,一切の対処の方法がすべて有効な瞬間もあれば,逆にすべてが無駄な瞬間もあるのである.そんな時には,そうしたやり方が,制圧しようと思う悪をむしろ増大することしかしないのだ.

他の暴力によってしか暴力に対抗できない瞬間が,いつもやってくるように思われる.そんな時,それに成功するか失敗するかなど問題にならない.勝利を収めるのは常に暴力である.暴力には,ある時は直接的で積極的な,ある時には間接的でネガティヴな,異常な模倣効果がある.人々が暴力を制御しようとつとめればつとめるほど,彼らは暴力に餌を与えることになる.暴力は,人がそれに対置する障害物を,行動の手段に変えるのである.暴力は,消そうとして投げ込む一切を貪り喰って激しく燃え上がる焔に似ているのだ.

いま,火を隠喩に用いたが,われわれは嵐とか,大洪水とか,地震を隠喩にすることもできただろう.実のところ,ペストと同じくそれらは決して隠喩ではない.単なる隠喩とは違うのだ.このことは,聖なるものを単なる自然現象の変容だとする命題にわれわれが立ち戻ることを意味しない.

聖なるものとは,人間がそれを制御できると思いこめば思いこむほど,それだけ確実に人間を制圧する一切のもののことだ.したがって,人々をおびやかすのは,何よりも,しかし副次的に,嵐である,山火事であり,伝染病である.だが,それはまたなかんずく,たとえはるかに目立たないとはいえ,人間それ自身の暴力なのだ.人間自身の暴力は,人間の外にあるものとして措定され,爾来,外から人間にのしかかってくる他の一切の力と混同されている.聖なるものの真の核心,ひそかなる中心を成すものは,そうした暴力なのだ.

[ ルネ・ジラール "暴力と聖なるもの", 古田幸男 訳, 法政大学出版局, 1982, pp. 49-50. (René Girard "La Violence et le Sacré", 1972) より ]

一切の通過と同じく死が暴力であることは誰でも知っている.共同体の一人の成員があの世に移行することは,いかなる危険にもまして,生き残っている者たちの間に争いをひきおこす倶れがある.分配しなければならない死者の所有物がある.悪しき感染の脅威をのりこえるためには,普遍的な手本,創始的暴力に訴えばければならないのはもちろんであり,聖なるものがその共同体に伝えたさまざまな教訓に助けを求めなければならない.われわれに関するこの場合,共同体は,それを救うべき決定における偶然の役割を把握し,保存したのである.暴力が荒れ狂うにまかせた時,葛藤を調整するのは,結局のところ偶然である.儀礼は,暴力が荒れ狂う機会を持たないうちに,偶然を活動せしめようとする.もはや猶予することなく意志を表明するよう強制することによって,聖なるものの手をこじあけ幸運を強奪しようとする.儀礼は,暴力を少しでもなしにすまそうとして,最終的な結末にまっすぐ進むのである.

[ ibid, p. 506. より ]

]

アルテナさま演説集

  1. (演説 1)「儀式は予定どおり行います.これは必ずしも予想外ではないのです.超え難き最後の試練.大切なのは古の刃を再び世界にもたらすこと.そう,たとえ世界がすでにソルダであっても.人の中の人.愛の中の愛.罪の中の罪.ソルダは元来人間の社会の中に存在する真実そのものであったはず.長い歳月を経てソルダは変わってしまった.今やソルダ自体が病に冒されのたうち回る社会そのものに過ぎない.真に必要なのは純粋なる刃.あらゆる呪縛から解き放たれた至高の存在.そう,ノワールが復活したとき,そのときこそ初めて le grand retour を,原初ソルダの理想を実現することが出来るのです」.

  2. (演説 2)「地上は業苦に満ちている.だがノワールは常に闇に在りて嘆きの子らを護り,闘う.原初ソルダのあるべき姿,完璧な構図を成す二人の処女」.

  3. (演説 3)「愛で人を殺せるのなら,憎しみで人を救えもするだろう」.

  4. (演説 4)「この祭壇こそ真の式場.誰も知らぬ,時に忘れられた場所.あなたたち二人の巡礼の旅はここで終わるのです」.

  5. (演説 5)「愚かな.何を愚かな.あなたの母親も同じでした.血縁の情の前に真理を見失った愚かなものたち.でもあなたたちの祭壇に捧げる羊としては役に立った」.

  6. (演説 6)「お撃ちなさい.でないと友だちが死んでしまいますよ.そう,多くの生命が失われて来た.あなたたちの手によって.その生命を今さら無駄にするというのですか.あなたにも判っているはずです.あなたはノワール.罪の元に生まれ,罪とともに育った.死を司る至高の存在.あなたの生きる術はそこにしかないのです.あなたはノワールとして罪を重ねて来た.その罪は永久に消えるものではありません.悲しむことではありません.その罪は人の世がある限り必要なものだから.そしてあなたはそのために選ばれた人間なのだから.さぁ引金を引きなさい.わたしを殺して真のノワールとして生きるのです」.

ミレイユが 第二十三話 でレミ・ブレフォールの話に乗ったのは,ブレフォールがちょっとばかしクロード・フェデーに似てるからだろうか[レミ・ブレフォールのスペルは Remy Breffort でエエのかな.
レミ・ブレフォール
一方こちらは 第十四話 ラストで銃を向け合ったときの Claude Feyder クロード叔父さん.
クロード・フェデー
やっぱ似てるな.なんか遠い縁戚関係にでもあるのかも知れん.フェデーとミレイユがすんなりコルシカを脱出できたのもブレフォールの尽力 (フェデーを未来のターゲットとして差し出すとか) があったのかも.]

  1. part A サブ・タイトル前.
    1. 霧香とミレイユのナレーション.分担は「ノワール,其は古よりの運命の名」が霧香のソロ.「死を司る二人の処女」がミレイユ.「黒き御手は嬰児の,安らかなるを護り給ふ」がデュエット. "les soldats". 0’20".
    2. 第一話 同様にミレイユの傷を手当てする霧香.「なんだかずっと昔のことのような気がする」. 第十七話 で初お目見えした "melodie" のピアノ・ソロ版. 0’32".
  2. part A サブ・タイトル後
    1. 最後の突入に備えて銃のお手入れに勤しむ二人組〜ミレイユの述懐は 第十九話 でクロエが語っていた「ノワール,それはソルダの誕生とともに生まれた.その名前はいつしか裏社会の伝説となった.正統なソルダのノワールがどの時代に何組存在したのか,それは誰にも判らない.ともあれ,裏社会でノワールを名乗るものたちは後を絶たなかった.その真の意味も知らずに.ちょうどわたしたちのようにね」〜アルテナさま待機中〜マレンヌ,クロエの死亡通知.あれ,なんでアルテナさまちょっと意外そうな表情見せるの[アルテナさま表情四態.
      アルテナさま表情集
      「意外そうな表情」は左上.他は地下の祭壇で.右二つは 第十五話 以来のムッとした表情.]
      〜二人組,禊場から舘を望む[葡萄畑突入直前.
      不自然に首が長い霧香
      妙に首が長い霧香.]
      . "secret game". 2’01".
    2. 葡萄畑に突入.なんかイタリア社会福祉公社の演習みたいだ[いざ出陣.
      いざ出陣
      なんか久し振りに "salva nos" らしい "salva nos" を聴いた気がする.]
      〜舘内に突入[曲撃ちというほどでもないが.
      霧香の逆さ撃ち
      霧香の逆さ撃ち.
      ミレイユのラッコ撃ち
      ミレイユのラッコ撃ち.]
      .戦国時代じゃないから名乗らんでよろしい,霧香「わたしたちはノワール.闇の暗さを怖れるものは道を空けなさい」[Dona nobis pacem, et salva nos a hostibus. Salva nos, Deus.
      ユニット再結成コンビ復活
      Libera me, Domine, de morte aeterna, in die illa tremenda, quando coeli movendi sunt et terra.]
      〜アルテナさま式場入り口へ降りる〜防弾着を着込んだボルヌの活躍.弾着音で判りそうなものなのに,なぜ頭を狙わない?  "salva nos". 3’25".
    3. (※) マレンヌ,アルテナさまを難詰「聞いているのですか,アルテナ.もうおしまいなのです,あなたも,ノワールも」〜意に介さないアルテナさまの (演説 1),「儀式は予定どおり行います.これは必ずしも予想外ではないのです. (中略) 真に必要なのは純粋なる刃.あらゆる呪縛から解き放たれた至高の存在.そう,ノワールが復活したとき,そのときこそ初めて le grand retour を,原初ソルダの理想を実現することが出来るのです」〜アルテナさまを撃とうとするマレンヌに先んずるアルテナさま〜ようやく二人組到着,「ようこそ.真のノワールたち」. 第二十五話 B パートのクロエ vs. 霧香戦で鳴っていたミドル・テンポのタイトル不詳曲. 2’10".
    4. アルテナさま,先行して儀式場へ潜る,「超え難き最後の試練.さぁ,儀式を始めましょう」. "les soldats". 0’11".
  3. part B
    1. アルテナさまの (演説 2),「地上は業苦に満ちている」〜 第二十話 で登場したご幼少のアルテナさま[第二十話 で登場したご幼少のアルテナさま.
      ご幼少のアルテナさま
      見知らぬ兵士に助けられたらしい.それとも玩具にされたのか.]
      三回目 で最後の 演説 3,「愛で人を殺せるのなら,憎しみで人を救えもするだろう」〜二人組追い付く〜束ねていた髪を解くアルテナさま,業火 (劫火) の風に吹かれて 演説 4,「この祭壇[地下祭壇の主な様子と各場面の位置関係.
      祭壇
      一言で言うと「古の魔術 (Ancient Sorceries)」.]
      こそ真の式場. (中略) あなたたち二人の巡礼の旅はここで終わるのです」〜霧香の質問「いったい何のために」〜アルテナさま,がっかり,「愚かな…… orz」〜ミレイユ,「あんたなんか,殺される資格もないわ」〜アルテナさま,またまたがっかり,「それでは仕方ありません」〜ミレイユを撃つ〜霧香をけしかけて 演説 6,「お撃ちなさい.でないと友だちが死んでしまいますよ. (中略) わたしを殺して真のノワールとして生きるのです」. "le grand retour". 4’52".
    2. (※) 体当たりでアルテナさまと自分を業火 (劫火) に落とす霧香〜かろうじて右手一本で自身と霧香を支えていたアルテナさま,ミレイユが延ばした右手に霧香の左手を預け墜落する.鐘とシンセのエフェクトっぽいタイトル不詳曲. 0’37".
    3. 霧香の右手がミレイユの右手首を掴む〜舘玄関前に評議員五名〜満身創痍でお互いに支え合って出て来る二人組〜今度は名乗らずに「道を空けなさい.闇の暗さを怖れるなら[ここでは「わたしたちはノワール」は削除されている.]」〜ブレフォールの問い掛け,「これからどうするつもりだ.まだすべてが終わったわけじゃない」〜ミレイユ,「さぁ,わたしたちはわたしたちとして生きて行く.ただそれだけ」〜「われわれの生きる世界は所詮闇の中だ」〜「だから,明かりを求めるのよ」.二人組の会話,「ミレイユ,これからどうする?」,「パリに帰って熱いお茶が飲みたいわ.話はそれからよ.どう?」,「(!)」,「あんたが点れるのよ」,「うん」. "canta per me". 2’14".
  4. 比率
    • 16’22" / 20’40" = 79.2% (04’18").

"salva nos", "canta per me", "melodie", "secret game" と円環をなして 第一話 に戻ったような用法の中で目立つのが "le grand retour" の 4’52" という分量で,これは 第二十話 の同曲より 11 秒ほど短いだけである.一曲単位では歴代二位の長さ.

Noir 各話音楽含有率

各話中で音楽が鳴っている時間の割合を計測してみた結果をまとめたもの. OP/ED,予告編等は計算に入れず,本編のみを対象としている.

  • 音楽含有率

全体の平均値は 70.3%.全体の傾向としては緩やかな右上がり.二クール目は平均値以下の回は四話しかない上にベスト 5 は 第二十話 以降に固まっている.

Noir 主な曲の頻度および長回し測定

主な曲の使用回数と一回当たりの平均時間を出してみた.「?」で始まるタイトルはサントラ未収録曲.命名規則は話数とパート. "les soldats" はナレーション時の 20 秒×26 回は計算に入れていない.これを入れると 42 回,トータル 21’09",平均 0’30" となり,回数ではトップになる.

Noir 主な曲の頻度および長回し測定
order title times length average order by average
1salva nos34 49’10"1’27" 26
2melodie24 24’08"1’00" 36
3les soldats16 12’29"0’47" 37
4canta per me (incl. inst)1527’28"1’58"14
5?1B (「わたしは誰? わたしはノワール.それ以外は何も判らない」で使われていたタイトル不詳のシンセ曲)1212’59"1’05"34
6?6A (不安のクレシェンド)93’53"0’26"40
7solitude by the window813’47"1’43"18
8premonition811’03"1’23"27
9chloe612’27"2’05"10
10corsican corridor67’49"1’18"28
11きれいな感情 - piano version -67’07"1’11"32
12?3A (アップ・テンポのタイトル未詳曲)62’16"0’23"41
13secret game511’23"2’17"4
14lullaby510’04"2’01"13
15les soldats II59’43"1’57"15
16?8A (ちゃ〜ちゃ〜ちゃ〜ちゃ ちゃ〜ちゃ〜ちゃ〜ちゃ〜 なるタイトル不詳曲)52’55"0’35"39
17le grand retour415’16"3’49"2
18black is black48’50"2’13"7
19killing410’56"2’44"3
20romance46’53"1’43"18
21liar you lie46’51"1’43"18
22salva nos II36’44"2’15"5
23snow36’41"2’15"5
24power-hungry36’27"2’09"8
25zero hour35’32"1’51"17
26silent pain34’55"1’38"22
27?19B (戦闘シーンのアップ・テンポの快調なマイナー曲)24’12"2’06"9
28?25B (クロエ vs. 霧香戦で鳴っていたミドル・テンポのタイトル不詳曲)24’07"2’04"11
29black society24’08"2’04"11
30whispering hills23’51"1’56"16
31ode to power22’58"1’29"24
32church22’18"1’09"33
33?12B (アルペジオというよりポワンティリスム)22’08"1’04"35
34in memory of you13’54"3’54"1
35indio11’43"1’43"18
36a farewell song11’38"1’38"22
37colosseum11’29"1’29"24
38melody - salva nos ver.11’18"1’18"28
39at ease11’16"1’16"30
40despair11’12"1’12"31
41sorrow10’42"0’42"38

意外にも "canta per me" は "salva nos" の半分以下という結果. "salva nos" の合計値は全編二本分を超えている (笑).ちなみに,二クール全編二十六話 OP/ED の省略はなかったが,これが 1’30" × 26 回だと,各々ちょうど 39’00". "salva nos" はこれよりさらに 10 分以上も長い.へぇ〜.その代わり "melodie" が多用されている.平均値が三分を超えているものが "in memory of you" と "le grand retour" の二曲.三番目の "killing" とは一分以上の差がある.このうち "in memory of you" は 第二十三話 で霧香が置き手紙で内心を吐露する場面一回だけで使われていたが, "le grand retour" は特異点. 第二十話第二十三話第二十四話最終話 の四回だけで平均 3’49" とは力入れ過ぎ (笑).一回当たりの長さ上位五は以下のようになる.

  1. "le grand retour" 5’03", 第二十話
  2. "le grand retour" 4’52", 最終話
  3. "salva nos" 4’06", 第九話
  4. "le grand retour" 3’57", 第二十四話
  5. "salva nos" 3’56", 第十話

ソルダ系の音楽は "le grand retour" 以外にも "chloe","secret game","lullaby","les soldats I/II","church","colosseum" などなど,印象的な曲が多い.「真に必要なのは純粋なる音.あらゆる呪縛から解き放たれた至高の存在」という点から見れば,アルテナさまの野望は成就したのでは (笑).

次回予告集成

  1. 「地は哀しみに満ちて 人はただ悪を為す 天は何も語らない 日々の糧
  2. 「裏切りの夏水仙 狩る者と,狩られる者 非情の掟に涙する 暗殺遊戯
  3. 「砂浜に染み入る血 楽園の裏の悪徳の市 因果は寄せる波の如く 波の音
  4. 「地下の墓地に眠るもの ソルダ——罪の中の罪 過去の扉を開ける時 レ・ソルダ
  5. 「雪原に消えた真実 唾棄すべき過去を持ち 雪の中,迷い続ける 迷い猫
  6. 「熱砂の果て 立ち切れぬ憎悪の絆 漆黒の糸が二人を結ぶ 運命の黒い糸
  7. 「世界で最も凶暴な姫君 侵す可からざる者 私には恐れはない イントッカービレ acte I
  8. 「コーザ・ノストラ 死の接吻 遠き日の冠を貴女に イントッカービレ acte II
  9. 「己の影を見た者は死ぬ 第三の処女 私は,真のノワール 真のノワール
  10. 「闇より来たる真の闇 ノワールの正しき姿 処女たちのお茶会 月下之茶宴
  11. 「純真無垢なる訪問者 手にする花は清らなる 血の掟にてなお紅し 刺客行
  12. 「水彩の淡き想い 罪人には許されぬ時間 枯葉は舞う,残酷に 地獄の季節
  13. 「再会の巴里 あの日,故郷を捨てた 過去を撃つ非情の銃弾 ミレイユに花束を
  14. 「ソルダからの暗殺依頼 その標的は 台湾黒社会 冷眼殺手 acte I
  15. 「悪心二千年 黒き手と赤き爪の死闘 組みすべきは,強者 冷眼殺手 acte II
  16. 「追放されし者の帰還 栄華の名残の廃園に 何故か涙は止どまらず コルシカに還る
  17. 「闇の中の私 得体の知れない何か 心の深傷に哭く獣 私の闇
  18. 「禁断の書物 かそけき望みは失われ 悪夢は時の彼方より ソルダの両手
  19. 「雷鳴の道標 慈雨は荒野に降り かくてソルダは芽吹く 罪の中の罪
  20. 「祝福を受けし者 夕叢霧香 別れの朝,墓場にて 無明の朝
  21. 「常世と現し世の狭間 聖地の番人 私たちは,ソルダ 旅路の果て
  22. 「この世界に出口はない 彼女の残した言葉 月光の慟哭 残花有情
  23. 「罪人たちの家 我は故郷に至り 午睡に暗き夢を見る 暗黒回帰
  24. 「クロエという名の愛 最後の試練 地獄の炎に晒されて 業火の淵
  25. 「二人冥府にありて 密やかに子等を護らん 落日に黒き涙を 誕生

縦読みはできんかった (笑).

2007年5月17日木曜日

ぼくらの #06 情欲

  • ぼくらの DVD 1
  • El Cazador ED CDS / El Cazador OP CDS
  • ぼくらの DVD 1

「わたしが殺したのよ」 © 本田千鶴.階段から転落した後ではまだカコが生きていたことは確認しているので蹴り落として殺したという意味ではない.

Zearth の視野角,水平方向は 360 度あるそうだが,俯角は意外にない.だが,首相 (に対する) 説明によると「ロボットとパイロットである子どもの意識が直結して繋がっており,パイロットの思念,テレパシーによってパイロットが見たいものが映し出されます」.疑問なんだが,ほんまにパイロットと投影される映像は同じものなのか? なんか違うような気がする.投影されるものは非パイロット用の映像じゃないの?

Zearth に乗るまでもなく,コエムシ曰く「前座」の段階で鈴ケ森水族館で圧潰死した加古功 as カコ,コクピットには屍体であっても転送されるらしい.どういうこった.いや〜,どうもわざと転送を遅らせていたような気がせんでもない.作者 (ないしはスタッフ) は加古功 as カコのようなキャラクタがお嫌いなのか (笑).画面には靴と右腕しか出て来んが,屍体はたぶん筒井康隆の『おれの血は他人の血』の後半で描写される潰された態のものだったろう.本田千鶴 as チズの行動も今一つ佳く判んないな.コエムシ「敵は加古のいるところに出るだろうからな」,え,それってどゆことだよ.そんなこと前に言ってたっけ? というわけで,椅子ルーレット再び.次パイロットは未定.あと,さり気なく彼らの周囲に出没する田中一尉.

ED の歌詞,これは佳く聴いてみると死者を送る歌じゃないか. OP の「怖れを知らない戦士のように振る舞うしかない」,そのために必要なのは麻薬としての宗教か,血の沸騰としての熱狂とその持続 (瞬間的なものであってはならない).そのいずれか,あるいは両方.それらを持たない場合は? 筒井康隆『死に方』十一態.さらに連想すれば,「生贄とは有用な富の総体のなかから取り除かれる一種の剰余である.そしてそれは利得なしに蕩尽されるためにしか,従って永久に破壊されるためにしかそこから抽出されない[ジョルジュ・バタイユ "呪われた部分", 生田耕作 訳, 二見書房, 1973, 1995, ISBN4-576-00023-3, p. 78. (Georges Bataille "La Part Maudite", 1949)]」.

DVD CM でのテロップ.「夢,未来,秘密,強さ,弱さ,傷,家族,仲間,命,地球,責任,迷い,決断,戦い,死 (発語されない)」.今んとこサブ・タイトルと合致しているのが 3/6. ぼくらの - しょぼいカレンダー 上では 5/9 がマッチしている.やっぱ,そうなのか.

2007年5月6日日曜日

Noir #22 旅路の果て

黒霧香誕生

「この村の背後にそびえ立つ岩山の彼方,スペインとフランスの国境地帯,そこは如何なる国にも属さず如何なる地図にも載ってはいない.時に忘れられた場所,世界にはそうした場所が幾つかある.この村の向こうもその一つです.その場所は今では単に「荘園」とのみ呼ばれています.あなたは無意識のうちに「荘園」への道を辿られた.ノワールであるが故に.ここから先はソルダにとって言わば聖地.手出しすることは絶対のタブーとされています.だから彼らはあなたをこの村から先に行かせまいとしているのです.そうです,われわれはソルダの末裔,そして彼らもまた」 © トリスタン.「旅路の果て」は「荘園」への入り口.

とりあえず黒霧香で動作安定し」てねぇよ.あと三十分の我慢という時間制限に加えて村一つ潰さにゃ安定せん.というわけで,白霧香でスタート.一週間掛けてどこほっつき歩いてんのかと思ったら,なんとピレネー山脈の麓である. ランゴーニュ写本 という単語を刷り込まれていたせいで,「荘園」はてっきりプロバンスか北イタリアあたりかと思ってたが,ずっと西だった.しかし,どうやって来たんだろう.所持金はあるんか.ヒッチハイクでもしたか,それとも本能的にもっと恐ろしい手段を使ったか.海は見えないから内陸部なんだろうけど,ピレネーは東西 300km 以上あるからな〜.どの辺だろ.西ならバスクが近いし東ならアンドラがある.その中間には聖母マリアの泉と聖ベルナデッタで名高いルルドが

霧香の「荘園」入山を回避したいソルダの四評議員が作戦開始指令を出すと傭兵たちらしいのが村を襲撃するので,傭兵たちを雇っているのがソルダ四評議員と思わせたいのだろうけど,「荘園」への経路はガラ空きである.「行かせまいとしている」のではない,「行かせる」ように仕向けているではないか. 1) 傭兵たちを雇ったのはソルダ四評議員ではない.四評議員たちの手のものは次回霧香の行く手に立つ.今回の彼らを仕向けたのはアルテナさまである.村を襲わせた理由は? 定期的に配下の共同体を非常に大きな厄災によって襲わせることで,弛緩することを防ぎ結束と忠誠心を高めるという伝統に従った.あと上手く行けば白霧香ではなく黒霧香になった時点で「荘園」に迎えることができるかもと予測を立てた. 2) 傭兵たちを雇ったのはソルダ四評議員である.「荘園」のガーディアンを排斥し,霧香をいぶり出すのが目的.いぶり出したところを別働隊で仕留める (はず).いやいや,相手はソルダですよ.もっとヌケているに違いない (笑).

なぜか村長より能弁なトリスタン & マルグリット[さすがにイズーじゃなかった (笑).]夫妻に傭兵エーリヒ.なぜにドイツ起源の名前が? ひょっとして初期段階の「荘園」の位置設定はアルザス・ロレーヌ地方だったりするんだろか.それとも,ソルダの息が掛かった村というのは人為的に創られるもので自然発生的な成立史を持たないということなのか.佳く判りません (笑).

今回の明らさまな供犠のシンボル, 1) 霧香が着ている赤錆色のゲルマン風装束, 2) 出逢う村人すべてが恭しく挨拶を送る,この二点から,初めは霧香が「神を体現する犠牲者」[メキシコにおける人間の供犠.「供犠としての死」.

「その若者がテスカポリトカ (もっとも偉大な神の一柱) の役を演じていることはだれでもが知っており,どこで出会っても,みな彼の前にひれ伏し,拝んだ.

(中略)

この若者が優雅にみえるように,そして君主のような暮らしをさせるために,あらゆる配慮がなされた.

(中略)

死を授かる場所にくると,自分で神殿の階を登る.一段ごとに,一年の間ずっと奏でてきた横笛を一本ずつ手折るのである.最上段に登ると,死を与えようと待ち構えていた神官たちが若者に襲いかかり,石造りの板の上に投げ倒す.脚,腕,頭をしっかりと押さえて仰向けに寝かせ,黒曜石の刀を持つ神官が,若者の胸をぐさりと刺す.刀を抜いてから,刀で開けた傷口に手をさし込んで心臓を抉りとり,それをすぐに太陽に捧げるのである」.

(中略)

神の化身となった犠牲者だけは,神のように人々に囲まれて神のごとくに犠牲の台に登り,人々は生け贄が死ぬまで,この若者を見守るのである.

[ ジョルジュ・バタイユ "呪われた部分 有用性の限界", 中山元 訳, ちくま学芸文庫, 2003, ISBN4-480-08747-8, p. 57-59., (Georges Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La Part Maudite", 1976) より ]

]であり,実際に殺されるのが白霧香だと考えたが,どうもしっくり来ない.それも道理で,この儀式を「見守るもの」がいないではないか.いるとすればそれはアルテナさまの遠隔感応のはずだが,今回は一カットも出て来なかった.加えて,同じことをすでに 第二十話 でやっている.そこではクロエが執行者の神官であり,ミレイユが見守るものだった.じゃぁ,これは何なのか.いったんこのラインから離れよう.第二十二話が終わった段階では 1) 霧香の黒化 と 2) 「荘園」のエントランス・ガーディアンの滅亡 が確認される.単純に考えればトリスタンたち村人が犠牲になったということになるんだが,高揚感に欠けるのが難点.やはり 1) を反転させて供犠の対象となったのが白霧香だということに持って行きたいとなると,さてどうしたもんか.とりあえず,「荘園」守護村は白霧香の身体だということにしておけばどうだろう.クロエが引導を渡した 第二十話 で生贄になった白霧香は生身の身体を欠くという不完全なものだった.その反動が不安定性として現われる.これを固着化するためにはどうしても捧げものとしての物理的な身体が必要になる.かと言って白霧香の身体を切り刻むわけにはいかない.ということで要請されたのが身代わりとして血を流す身体である.つまり,「過剰」として一個の村全体が必要になる.う〜む,どうもしゃっきりせんですな〜.だいたい,最後のは逆じゃないの?

  1. part A サブ・タイトル前.音楽切れ目なし
    1. 霧香ナレーション. "les soldats". 0’20".
    2. 前話 終盤,コンビ解消の回想.「どうして?」という慟哭がミレイユに引き継がれて「この花は黒く染まることもなく,ただ萎れた.霧香はもう帰って来ない」〜どっかの山中で行き倒れる霧香. 第十七話 で初お目見えした "melodie" のピアノ・ソロ版.基本的には "melody - salva nos ver."[タイトルがなぜ "melodie" じゃなくて "melody" なのかはアポリアである.] のカラオケだが,テンポが違うしディナーミクもかなり違う. 1’52".
  2. part A サブ・タイトル後
    1. 息を吹き返す霧香.いかにも鄙びた佇まいの部屋.銃がある.無意識に手に取る[この回転式の銃は 前話 の後半で敵から奪い取ったもの.少なくとも二発は撃ってる.その後白に戻っている間に捨てたが,いつの間にか回収していたらしい.やっぱピレネーまで来ることが出来たのはその銃のおかげですか.].右手もだいじょぶ,ちゃんと動く〜霧香を自家に運び込んで介抱した初老の夫婦の入室〜トリスタンとマルグリット〜霧香に敬語を使い態度も極めて丁寧〜霧香の来訪を判っていたと謎言語. "premonition". 1’47".
    2. マルグリットに渡された赤錆色のゲルマン風装束に着替え,トリスタンに教えられた村の西の外れにある古い石碑を訪れる霧香〜石畳〜ちびミレイユに瓜二つの少女〜村人はみな霧香を見掛けると一礼する〜石碑に刻まれていたのは黒き手の処女たち〜ちびミレイユ'がボールを追い掛けて駆け込んで来る〜「わたしが殺したの」,「だってあなたはノワールですもの♡」〜トリスタン宅に戻る〜グラサン紺服の集団〜.オリジナルの "canta per me". 3’14".
    3. 部屋の中の黒 & 紺服五人を瞬殺するトリスタン,マルグリット,村長のチボー〜表に集まっている村人たち.外にいた二人は彼らが始末した〜トリスタン「ただいまの訪問者たちは le grand retour に背くものたちです.あなたがあの方に逢われることを好まぬものたちです.わたしたちは此処で大義と共に生きて来ました.そしてこれからも」〜霧香,訳が判らん〜霧香に跪く村人たち〜「申し遅れました,わたしたちはみなソルダです」〜霧香の表情 (マジヤバ). "premonition" の後半部. 1’30".
  3. part B
    1. (※) 冒頭に引いたトリスタンの講釈. 第十二話 B パートで使われていたポワンティリスム風. 1’21".
    2. トリスタンの講釈の続き. "les soldats". 0’13".
    3. トリスタンの講釈まだ続く〜「le grand retour」とは原初ソルダへの回帰を意味する〜が,すでに世界そのものとなったソルダの変革を好まぬものもいる〜顎髭評議員,四人の合意の元に作戦指令を出す〜この村は千年間「荘園」を護って来た〜トリスタンが語るアルテナさまの意図,「歴史の暗黒の最中,ソルダが地下に潜ったとき,地上の闇の中に取り残された二本の手. (ノワール) ソルダはこの失われた手を取り戻さねばならない.ノワール継承の儀式の復活こそ「le grand retour」の象徴なのです」〜位置に付く兵たち. "les soldats II". 1’54".
    4. (※) 戦闘開始〜霧香を「荘園」へ逃がそうとするトリスタンとマルグリット〜トリスタン,警告を無視して発砲,射殺される〜村長狙撃手〜戦闘が気になって仕方がない霧香〜別段防ぐ風もなく集団で進撃する村人たち〜兵士の一人が仲間から「エーリヒ」と声を掛けられる.ドイツ人がなぜ此処に?〜村長,ロケット弾を喰らって木っ端微塵〜煽りを喰らって倒れる霧香. 第十九話 B パートで登場した白玉分散和音のアップテンポ. 2’01".
    5. 身を挺して霧香を護ったマルグリット,機関銃に撃たれる〜ここで黒霧香化, 15 秒間で六人撃ち殺す〜見下ろすと炎に包まれた村〜真下アニメでは佳く出て来るような気がする燃えている人形,その側に脱げた靴[ちびミレイユ
      この人形と靴は,ちびミレイユ'のものである.この子も大義に殉じたわけだ.おまけで礼拝堂の正面に掲げられていた黒き手の処女たちの絵画.]
      〜礼拝堂も燃えている〜マルグリットの最期の言葉「それでこそあなた……」〜焼け落ちる村[また村が一つ死んだ
      納谷悟朗の声で「また村が一つ死んだ」ってな絵だな〜.千年もの間大義を護って来た村は滅びたわけだが大義そのものが死んだわけではない.たぶんに宗教的な匂いをまとうソルダであるから,新たに別の守護村を築くのでありましょう.]
      〜山を登る霧香〜いつの間にか夜明け〜「荘園」の入り口? で黒霧香で確定? "killing". 2’48".
  4. 比率
    • 17’00" / 20’40" = 82.3% (03’40").なんと 第二十話 を 3 秒上回り,音楽含有率最高記録を更新.ちなみに 1 曲当たりの平均時間も 1"51" で首位を更新.二位は 第二十話 の 1"46".

今回で二回目の "killing" は黒霧香の殺しのテーマということでエエのかな. "premonition" が二回.白霧香最後の足掻きということで,もう使われないかも知れない.

  1. 「この世界に出口はない 彼女の残した言葉 月光の慟哭 残花有情」.霧香は「荘園」の入り口にたどり着いたんだっけ,まだ一悶着あるんだっけ.一方一人語り残されたミレイユは? というのが次回.

2007年5月3日木曜日

ぼくらの #04 強さ

  • El Cazador ED CDS / El Cazador OP CDS / Red Garden DVD 箱 1 type c (抗え—。闇に踊る少女たち篇) (あれ,こんな音声だったっけ? 何かノイズ入ってない?)

「あ〜れ,言ってなかったっけ.こいつはな,人の生命力で動くんだ.だから.お前らは闘いの後必ず死ぬってことだよ」 © コエムシ.あ〜,そう言えば言ってなかったですな.コダマの最期.中央を向いた椅子に座る十三人の中心で頓死.ワクのときと違って,誰も手を掛けたものがいない.ということが全員に確認された.なんで,ワクの死に関してウシロは責任がない.ということになるのかどうかは,とりあえず棚上げ.

0’40" 掛けて和久隆 as ワク戦の回想.しかもしつこくウシロのカナはたき付き.第四話は 前回 終盤で指名された小高勝 as コダマ.親父さん小高雄二は不動産会社の経営者.コダマはその次男坊.父社長の強引な手腕に長男の専務真一は反発.コダマは親父を尊敬している.コダマの親父評,「パパは成り上がりの建設業者で他人に勝つことしか考えない[コダマの親父評その一,「兄はパパのことを嫌っている.理由は簡単だ.パパは成り上がりの建設業者で他人に勝つことしか考えない.すぐに他人を見下しケチを付ける.欲しいものを手に入れるためには手段を選ばない」.]」,なかなか佳く見ているじゃないか.それが「パパは選ばれた人間だから何をしたって佳いんだ[コダマの親父評その二,「だから兄は嫌っているんだ.当然だと思う.でもおれはパパのことを尊敬している.パパは選ばれた人間だから何をしたって佳いんだ.それに,パパは唯の愚かしい人間じゃない.相手の神経を逆撫でする発言一つにも計算がある」.]」には飛躍があるが.

  1. 今度の対戦相手はダンゴ虫に長い三脚が付いたような球形ロボ.
  2. チズが言っていた「椅子を媒介に転送」云々,転送時に身体的に接触していたものも同時に転送されるらしい.マキのファミコン・コントローラが 10cm ほどで断線されていたが,そんならアンコのドライヤーの電源コードもそれくらいで断線されてたんだろ.
  3. 人口百億っつ〜ことで近未来のようだが,小高雄二の赤い車は社長車にしてはくだけ過ぎ.戦闘機はステルス・タイプの昆虫様ではなくレトロ調.
  4. 妙に冷静なチズ,「何か変よね.街を壊すことに躊躇してるのは向こうみたいに見えない?」
  5. 動き出す内閣調査室.眼鏡はかなり自由な発想の持ち主.経験主義的な発想による中国だのアメリカだのいう意見を一蹴して「地球以外の可能性も視野に入れて考えております」.「宇宙人と外交交渉ですか」.でも例の十五人の顔写真付き名簿.国防軍.桂木って誰?
  6. 古茂田孝美 as コモの父親は「野党の鉄の壁」と呼ばれる古茂田こういち (現時点ではどういう字を書くのか不明).
  7. ワク戦で吹っ飛ばした山の名は「つじみ山」.

「生命は使い捨てられるために続々と作られる」と「生命が地球上に氾濫する理由,それはたくさん死んでもだいじょうぶなためだ」[ここで強引にバタイユを引く (笑).

生命体は,地表のエネルギーの働きが決める状況の中で,原則としてその生命の維持に要する以上のエネルギーを受け取る.過剰エネルギー (富) は一つの組織 (例えば一個の有機体) の成長に利用される.もしもその組織がそれ以上成長しえないか,或いは剰余が成長のうちに悉く摂取されえないなら,当然それを利潤ぬきで損耗せねばならない.好むと好まざるとにかかわらず,華々しいかたちで,さもなくは破滅的な方法でそれを消費せねばならない.

[ ジョルジュ・バタイユ "呪われた部分", 生田耕作 訳, 二見書房, 1973, 1995, ISBN4-576-00023-3, p. 25. (Georges Bataille "La Part Maudite", 1949) より ]

ついでだから,もう一発.何が「ついで」なのかは誰にも判らない (笑).

しかし生産されたエネルギーの量は,生産に必要なエネルギーの総量よりも,つねに大きいと考えられる.このために,エネルギーの過剰な部分は,まったく役に立たない用途に放出され,純粋な損失として浪費され,失われる必要がある.

[ ジョルジュ・バタイユ "呪われた部分 有用性の限界", 中山元 訳, ちくま学芸文庫, 2003, ISBN4-480-08747-8, p. 38. (Georges Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La Part Maudite", 1976) より ]

]までは百歩譲ってまぁ佳いとしても,「生命には二つ,死んで佳い生命と選ばれて生きる生命がある.おれは選ばれた人間になる」には隠された論理の飛躍があるのに気付かんかな〜.ローカル・ルールとグローバル・ルールをごっちゃにしたダメだろ.「別に構わないよ.それで死ぬのはそいつの運命なんだよ.ヤバい.ゾクゾクする.今おれは他人の死に関わっているんだ」,その設計ミスで己が父親を殺すはめになる.それを合理化するには宗教的背景がなければダメだということが身を以て思い知ったろう.子どもだからという言い訳は使えないんだよ.判ったところで,例によってつねにすでに遅過ぎるけどな.なんとなく反ドーキンス派のように,手近の道具を使った脊髄反射的な反応は判らんでもないけどさ.お前こそ,バタイユだのドーキンスだのと連想した固有名詞を並べる癖を何とかしろよ.

  1. 和久隆 as ワク:阪口大助 (パイプ椅子)
  2. 阿野万記 as マキ:比嘉久美子 (お母さんお気に入りのロッキング・チェア)
  3. 小高勝 as コダマ:保志総一朗 (社長椅子)
  4. 半井摩子 as ナカマ:井口裕香 (教室にあるような椅子)
  5. 町洋子 as マチ:三瓶由布子 (応接室に置いてそうな赤いソファ)
  6. 往住愛子 as アンコ:牧野由依 (足載せ付き一人用ソファ)
  7. 吉川寛治 as カンジ:野島健児 (アーロン・チェア)
  8. 宇白順 as ウシロ:皆川純子 (中学の技術科とかで作りそうな木の椅子.釣りに仕えそう)
  9. 本田千鶴 as チズ:高梁碧 (イギリスの古道具屋にありそうな背がピンとした木製椅子) (この子は焦臭い.要注意)
  10. 加古功 as カコ:藤田圭宣 (バス停とかにありそうなパイプ椅子)
  11. 切江洋介 as キリエ:浅沼晋太郎 (平社員用回転椅子)
  12. 矢村大一 as ダイチ:杉田智和 (座布団)
  13. 門司邦彦 as モジ:宮田幸季 (折りたたみ椅子)
  14. 古茂田孝美 as コモ:能登麻美子 (ピアノ用)
  15. 宇白可奈 as カナ:阿澄佳奈 (アンコの足載せ台)

2005年10月15日土曜日

本日の収穫:オースティン『エマ』,ホフマン『ムル』,『巌窟王』,『エロイ カ』,森薫『エマ』 & 『シャーリー』,『ななこ SOS』,ベア『ブラッド・ミ ュージック』,『存在と時間』,『呪われた部分 有用性の限界』

本日の収穫:讀物篇

岩波文庫が小宮山書店,『エロイカ』 28 巻が三省堂,あとは書泉グランデ.

  • オースティン "エマ", 上下巻 工藤政司 訳, 岩波文庫, 2000, ISBN4-00-322224-5, ISBN4-00-322225-3, (Jane Austen "Emma", 1816)
  • ホフマン "牡猫ムルの人生観", 上下巻 秋山六郎兵衛 訳, 岩波文庫, 1935, 1936, 1956, 1957, 1982, (E.T.A. Hoffmann "Die Lebensansichten des Katers Murr", 1819, 1822)
  • 大デュマ "モンテ・クリスト伯", 全 7 巻 山内義雄 訳, 岩波文庫, 1956, 1957, 1999, ISBN4-00-201001-5 (Alexandre Dumas "Comte de Monte-Cristo", 1841-45)
  • 青池保子 "エロイカより愛をこめて", 28, 32 巻 秋田書店, 2003, 2005, ISBN4-253-07477-4, ISBN4-253-19452-4
  • 森薫 "シャーリー", エンターブレイン, 2003, ISBN4-7577-1313-4
  • 森薫 "エマ", 1-6 巻 エンターブレイン, 2002, 2003, 2004, 2005, ISBN4-7577-0972-2, ISBN4-7577-1312-6, ISBN4-7577-1642-7, ISBN4-7577-1887-X, ISBN4-7577-2168-4, ISBN4-7577-2403-9
  • 吾妻ひでお "ななこ SOS", 1-3 巻 早川書房, 2005, ISBN4-15-030786-5, ISBN4-15-030792-X, ISBN4-15-030796-2
  • グレッグ・ベア "ブラッド・ミュージック", 小川隆 訳, ハヤカワ文庫, 1987, 1999, ISBN4-15-010708-4 (Greg Bear "Blood Music", 1985)
  • ハイデッガー "存在と時間",上下巻 細谷貞雄 訳, ちくま学芸文庫, 1994, 2001, 2005, ISBN4-480-08137-2, ISBN4-480-08128-0 (Martin Heidegger "Sein und Zeit", 1927-1960)
  • バタイユ "呪われた部分 有用性の限界", 中山元 訳, ちくま学芸文庫, 2003, ISBN4-480-08747-8 (Georges Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La part maudite", 1976)

『エロイカ』, 26 巻が未入手だから先へ進めん (笑).森薫『エマ』と『シャーリー』ようやく入手.ついでと言ってはナニだが,オースティンの『エマ』も.ようやく『ムル』も手に入ったんで,勢いで『巌窟王』全七巻セット箱入り (笑).けっきょく 27 冊? 文庫とはいえ重いはずだわ,そりゃ (笑).