ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2009年8月22日土曜日

続テスカトリポカ拾遺

アステカ滅亡

アステカの起源は 13 世紀半ばに雑多な民族からなる第 4 の集団 (チチメカ,テパネカ,アコルワに続く集団) がメキシコ盆地に移住して来たときに始まる.あっちこっちで小競り合いを起こして追われた彼らは, 1325 年 (または 1345 年) に,テツココ湖の西の端の島に逃げ込む.ここがやがてアステカの首都テノチティトラン (Tenochtitlan) として栄えることになる. 1521年,コルテスによる征服とその後によって完全に破壊され,現在はこの上にメキシコ・シティが建設されている.実質 200 年に満たない歴史しかない.アステカ帝国という呼称は,ローマ帝国やモンゴル帝国のような政治的に統一され中央集権化された単一国歌ではなく,テノチティトラン,テツココ (Texcoco),トラコパン (Tlacopan) という三つの独立した都市国家が同盟 (三市同盟) を組んだ状態を指す.統一されていないので状況はかなり不安定だった.領土の拡大は貢納の獲得が目的であったため.各都市が本来持っていた独立指向が残存しており,それを軍事的圧力と恐怖によって押さえ付けている状態だった.現にコルテスをテノチティトランに導いたのは,テノチティトランと激しく対立していたトラシュカラ (Tlaxcala) だった.一度はスペイン=トラシュカラ連合を撃退したテノチティトランだったが,コルテスは抜け目なくトラシュカラに続いて都市国家を味方に付け,テツココとトラコパンもテノチティトランに離反した.結果として 1521 年 8 月 13 日,テノチティトラン最後の王 (トラトアニ (Tlatoani)) クアウテモク (Cuauhtémoc) が捕らえられテノチティトランは陥落した.

土方美雄

もしかしたら他にもあるのか知れんけど,目に付く限りでテスカトリポカ単独で項目を立てているのはこの本だけ.句点の打ち方にクセがあってちょっとアレだけど,けっこう真面目な記述である.

テスカトリポカ (Tezcatlipoca)

「煙を吐く鏡」を意味するテスカトリポカ神は,その名のとおり,片足がなく,切断された足に煙を吐く鏡をつけた姿で,絵文書等に描かれることが多い[ウィキペディア のボルジア絵文書から採られた画像もこの形態をしている.]

彼が片足なのは戦った大地の怪物によって食いちぎられたためといわれ,テスカトリポカは失った足に装着した煙を吐く鏡を使って,世界中のこれから起こる出来事とその結末とを予測する力があった,といわれている.

また,テスカトリポカの像とみられる石像では,彼は煙を吐く鏡を頭の上につけた形で描かれており,その片足の先は蛇になっている.その他,片足が煙を吐く鏡になり,その鏡の中から蛇が顔を出しているテスカトリポカの姿なdも,絵文書等に残されている.

魔術を操り,また,戦士の守り神であるテスカトリポカ神に対する信仰がメキシコ中央高原で広まったのは,比較的新しく, 10 世紀以降の「後古典期」に入ってからのことで,彼は羽毛のある蛇の神の姿でケツァルコアトル (Quetzalcoatl) とともに,世界の創造に加わった重要な神として,描かれている.

たとえば,メキシコ中央高原に伝わる創世神話においては,彼らの住む現在の世界は 5 番目の太陽の支配する世界とされ,過去に 4 つの太陽の支配する世界があったが,いずれもさまざまな理由で滅ぼされてしまった.

その「ナウイ・オセロトル (4 のジャガー)」と呼ばれる第 1 の太陽が支配する世界の守護神がテスカトリポカで,やがてテスカトリポカとケツァルコアトル神の間に争いが起き,この争いにケツァルコアトル神が勝利をおさめた結果,第 1 の太陽の世界の住民たちはすべて,ケツァルコアトルによってジャガーに変身させられてしまったテスカトリポカによって食べられてしまい,世界は終焉を迎えることになるのである.

こうして,次々と 4 つの太陽 (世界) が滅んだ後,テスカトリポカとケツァルコアトル両神は,第 5 の太陽 (世界) を造るため,今度は協力してまず大地を造り,次にケツァルコアトルがそこで暮らす人間を造る.あとは誰がその世界を支配する太陽になるかで,神々はその第 5 の太陽となる神を決めるため,テオティワカンに集まって協議し,その結果,ナナワツィン (Nanauatzin) という神が自ら犠牲になって,焚き火の中に飛び込み,第 5 の太陽となったというのである.

このエピソードでもよくわかるように,テスカトリポカ神とケツァルコアトル神とはときに激しく対立し,世界を破滅に追い込むこともあれば,また,あるときは互いに協力し合って世界の創造に貢献することもある神であり,いってみれば永遠のライバルである.また, 2 神とも前述のオメテオトル (Ometeotl)[宇宙と神々の創造神とされ,時空を超えた「オメヨカン」と呼ばれる天界に住む至高の存在.対立する二元論的概念を統一する.] の 4 人の息子のひとり,つまり,兄弟神である可能性もある.

しかし,生命と豊穣の神であり,人々にトウモロコシの栽培等を教えた文化神であるケツァルコアトルに対し,テスカトリポカ神はどちらかといえば気まぐれで,ときに人々に勇気や幸福をもたらしてくれることもあるが,同時に不幸や大いなる災害をもたらすこともある, 2 面性のある神格として描かれることが多く,その魔法の煙を吐く鏡を使って,人々の生活を垣間見たり,あるいは人の心を操ったり,もてあそんだりすることもある,邪悪な存在でもあった.

そうした人々の心に不和を生み出す性格などから,テスカトリポカ神はやがて,非妥協的で獰猛果敢な「軍神」として,「トルテカ」[10 世紀のメキシコ中央高原の覇者.]と呼ばれる都市国家群や,アステカの軍事至上主義者の間で,大いに信奉されることになった.

たとえば,トルテカの人々に伝わる伝承とされる,次のようなエピソードがある.

トルテカの都,トゥーラではケツァルコアトル神を信奉する勢力と,軍神テスカトリポカを信奉する勢力の間で,激しい対立があった.

前者を代表するのは,ケツァルコアトル神の生まれ変わりと人々に信じられたトピルツィン・ケツァルコアトル王で,彼はケツァルコアトル神を崇め,平和主義的な施政を実行した.しかし,そうした王の平和主義的な姿勢に飽き足らない戦士団は軍神テスカトリポカを信奉して,王の施政に激しく反発,やがて後者の力が前者を上回り,王はやむなく.彼に従う少数の人々とともに,トゥーラの都から脱出するしかなくなった.

脱出に際し,トピルツィン・ケツァルコアトル王は「私は第 1 の葦の年 (西暦 1519 年) に必ずこの地に戻り,再び支配者となるであろう」との予言を残し,南の地に去っていったというのである.

このトルテカのものとされる伝承は,その後,メキシコ中央高原の覇者となったアステカの人々にも伝えられ,その「1 の葦の年」が近づくにつれ,当時のアステカの王,モテクソマ[モテクソマ二世.モテクソマ・ショコヨトル (Moteuczoma Xocoyotl),あるいはモテクソマ・ショコヨツィン (Motecuhzoma Xocoyotzin).在位 1502〜1520 年.]はケツァルコアトル神の再来に極度に怯えるようになる.そして,たまたま,その年にやって来たスペイン人征服者であるエルナン・コルテス一行をケツァルコアトル神の軍団であると思い込み,戦う前に戦意を失ってしまったという,いささかまゆつば物の,有名なエピソード[征服後のスペイン人による捏造らしい.あるいは征服後のアステカの歴史家による苦し紛れの説明とも.]にも,つながっていくのである.

強力な軍事国家であるアステカでも,軍神としての性格が強いテスカトリポカ神は,極めて重要な神とみなされていた.彼はやはり獰猛果敢な軍神である,アステカの部族神ウィツィロポチトリ (Huitzilopochtli) の兄弟神とみなされ,アステカの都テノチティトランの大神域には,その中心に,雨の神トラロック (Tlalloc) と部族神ウィツィロポチトリのための 2 つの神殿がその上に建つ大ピラミッドが建設されたが,その左右にはほぼ同形のテスカトリポカ神を祀る神殿ピラミッドが配されていたといわれている.

アステカの部族神である,最高神でもあったウィツィロポチトリの石像は未だ 1 点も発見されておらず,また,彼の姿を描いた絵文書等もあまり残されていないが,その現存する数少ない資料を総合すれば,彼は頭の上にハチドリの頭飾りや煙を吐く鏡をつけ,その片足は蛇の姿をしていたようである.その姿はテスカトリポカ神と極めて酷似しており,ウィツィロポチトリはあるいはテスカトリポカをモデルに,アステカの人々によって造られた神であると考えられる.

また,マヤの神であるボロン・ザカブ (Bolon tza cab)[ボロン・ツァカブとも.] と,テスカトリポカとの類似性を指摘する,研究者もいる.確かに,マヤ王家の守護神であるボロン・ザカブもまた,煙を吐く鏡を持ち,片足が蛇という姿で描かれることが多い.しかし,こちらはその起源がテスカトリポカより,かなり古い.

メキシコ中央高原とマヤ地域との間の人的・文化的交流が決して (メキシコ中央高原からマヤ地域へという) 一方的なものではなく,双方向的なものであったと考えれば,それは必ずしも不可思議なこととはいえないだろう.メキシコ中央高原からマヤ地域へという人や物,文化の流れがあった一方で,マヤ地域からメキシコ中央高原への人や物,文化の流れもまた,同時にあったと,そう考えられるからである.事実,メキシコ中央高原の都市国家カカシトラからは,極めてマヤ的な要素の濃い壁画が,発見されてもいるのである.これをマヤ人のメキシコ中央高原への「侵略」と考える研究者がほとんどいないのは,不思議なことである.つまり,メキシコ中央高原からマヤ地域への人や物,文化の流れもまた,「トルテカ人」による「侵略」によるものと考える必要は,必ずしもないのである.

前述したように,テスカトリポカは第 1 の太陽「ナウイ・オセロトル (4 のジャガー)」の守護神であり,また,しばしばジャガーの姿に変身することもあるが,これは夜行性の動物であり,獰猛なジャガーが,テスカトリポカの持つ暗黒面や残虐性と重なる面が多いからではないかと,いわれている.

[ 土方美雄 "マヤ・アステカの神々", Truth In Fantasy 69, 新紀元社, 2005, ISBN4-7753-0380-5, pp. 129-132. より ]

創世神話における,いち早く焚き火に飛び込んだナナワツィンが太陽となり,ここには出て来ないテクシスカトル (Tecciztecatl) が月になるというエピソードはバタイユ本でも取り上げられている.ミニュイ版では,バタイユ "呪われた部分", 生田耕作 訳, 二見書房, 1973, 1995, ISBN4-576-00023-3, pp.59-62, (Georges Bataille "La part maudite", 1949, 1967, 1971).ただし二神はそれぞれナナウアチン,テクチズテカトルと表記されている.ガリマール版はバタイユ "呪われた部分 有用性の限界", 中山元 訳, ちくま学芸文庫, 2003, ISBN4-480-08747-8, pp.48-51, (Georges Bataille "La limite de l'utile, fragments d'une version abandonée de La part maudite", 1976).こちらはナナワツィンとテクシスカトルという表記.

ショチケツァル (Xochiquetzal)

ショチピリ (健康と快楽を司る神,音楽や舞踏,芸術の神) の妹とも妻とも考えられている神で,羽毛のある (quetzal) 花 (Xochi) という意味.バタイユがテスカトリポカ神代理に宛てがわれた四人の娘のことを記述しているが,こちらでは,テスカトリポカ神代理に,トシュカトル祭祀の一年前にショチケツァル神代理を演じる一人の娘が与えられるという記述がある.ここを読む限りでは四人のうちの一人がショチケツァル,というわけではないようだ.ショチケツァル神代理もテスカトリポカ神代理と同様生贄になる. 土方美雄 "マヤ・アステカの神々", Truth In Fantasy 69, 新紀元社, 2005, ISBN4-7753-0380-5, p. 153.

テスカトリポカに関する祭祀

アステカはマヤ同様に二つの暦を併用していて,一つはトナルポワリと呼ばれる 260 日周期の祭祀歴で, 13 の数字× 20 の絵文字からなる.もう一つがシウポワリと呼ばれる太陽暦で, 20 日× 18 ヶ月+ 5 日からなる. 365 と 260 の最小公倍数は 5x73x52 で 18980,シウポワリ暦 52 年で二つの暦の組み合わせが一致することになる.シウポワリ暦 18 ヶ月中にテスカトリポカがフィーチャされる祭祀は 05/05-22 のトシュカトル (乾燥) の祭りと 08/13-09/01 のウェイ・ミッカイルウィトルまたはショチコトルウェツィ (死者の大祝宴またはショトルの実の収穫) の祭り.いずれも生贄が捧げられる.というか,ネモンテミと呼ばれる 5 日間を除いて,すべての月で生贄が供される.サーグン (バタイユ) も記述している一年掛けて代理を育て上げるのはトシュカトル祭の方. 土方美雄 "マヤ・アステカの神々", Truth In Fantasy 69, 新紀元社, 2005, ISBN4-7753-0380-5, pp. 169, 172. アステカの神々は始終生贄を捧げていないと滅びてしまう.なので,日常的に人身御供を行ってエネルギーを補充しなければならない,と考えられていたようだ. 16 世紀にスペイン人が見たものは,小綺麗で整理された都市,その中心にそびえ立つ大神域,その頂に残るおびただしい血の跡と腐臭,というようなものであったらしい.

テスカとリポカ降臨

事態の推移が早過ぎる.ちょっと待って〜 (笑).

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