ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2008年12月2日火曜日

オルハン・パムク『わたしの名は紅』

  • オルハン・パムク "わたしの名は紅", 和久井路子 訳, 藤原書店, 2004, 2006, ISBN4-89434-409-2, (Orhan Pamuk "Benim Adım Kırmızı", 1998)

タイトルにはルビが振ってあって「あか」.つまり「くれない」とは読まない.

町の賢さはそこに住む人間たち,図書館,細密画師,書家,学校によって測られるべきではなくて,その町の薄暗い通りや何千もの道でこっそり犯された殺人事件の数によって測られるべきだ.この論理によれば,イスタンブルが世界で一番賢い町であることは疑いない.

[ オルハン・パムク "わたしの名は紅", 和久井路子 訳, 藤原書店, 2004, 2006, ISBN4-89434-409-2, p. 161 より ]

人殺しは,世間の人が思っているのとは逆に,不信心者ではなくて,信心が強すぎることから生じる.細密画を描くことは,絵に通じ,絵は今度は (言ってはならないことではあるが) アラーの神への挑戦に通じる.このことは誰でも知っている.

[ ibid,, pp. 389-390 より ]

600 ページを越すこの本では,西からの侵犯にさらされた十六世紀インスタンブールで起こる連続殺人事件 () は確かに起こるし,それが話を進ませる主軸になっているけど,当たり前だが,もっといろんなことが書き込んである.かなり目立つのが,カラとシェキュレの恋物語的な側面.最後の盛り上がり具合はけっこう凄い.映画にするなこれに絞らんと長くなり過ぎるだろう (笑).最終章の語り手はシェキュレだけど,なんかジョイスの『ユリシーズ』のラストを思い出した.が,それより顕著なのが,ここかしこに挟み込まれた,細密画の上に立つ絵画論というか芸術観.ヨーロッパから流れ込ん来る新しい様式とどうか苦闘するのか,などなど.そこでは下手な「個性」なんぞは吹っ飛ぶ (笑).イスタンブールがもうちょっとヨーロッパから離れてりゃねぇ〜.

シェキュレの二人の息子のうち,次男坊の名前が作者と同じオルハン.しかも最後のパラグラフの冒頭が「絵には描けないこの物語を,もしかしたら,ことばには書けるかと思ってオルハンに語った」で始まる.先を読み進めると,まるでこの本全体をオルハンが書いた (謎を仕掛けた) ように読める.「なぜなら彼は物語を面白く説得力あるようにと,どんなうそでもためらわないのですから」.ここで,お話は一気に時間を駈けて,十七世紀初頭から二十一世紀に飛ぶような錯覚を覚える.この終わり方は凄い余韻を残すな〜.脱帽です.

謎解きは正直判らんかった,というか,読み進めているうちに,実際の殺人犯なんぞどうでも佳くなる.しかし,我 (等) が意志を通すためにとりあえず殺すという戦術は今の日本じゃ考えられんな.

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