ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2007年10月3日水曜日

ひぐらしのなく頃に解 #13 皆殺し編 其の八 終末

  • ひぐらしのく頃に解 DVD 1 / ひぐらしのく頃に解 ED CDS
  • Mell さま CDS (Virgin's high! / kicks!)

「ブロッコリーとカリフラワー,緑色はどっち?」 © 鷹野三四.

いや〜,さすがに梨花ちゃま以下六名以外全部沈没にはならんかった.状況としては含全部沈没である.ホモ・デメンス仮説以外にもう一つ.ヒントは一つが「いいや,足りてなかったんだ.もっと運命に抗う意志さえ強ければ」という圭一の言葉.こりゃまた新興宗教の発生過程そのままだねぇ〜.とか思ってたが,表=鷹野とするならこちら側は異端の発生となるわけですね.もう一つが,鷹野の「祟り→畏れ→崇拝」という言葉.「崇」めると「祟」りが同じ字だというのはともかく,上記の二つをまとめると,畏れ (怖れ) をベースに持つ某一神教の正統派=主流派,あるいは公式見解 (鷹野) と異端派=少数派,非現実派 (梨花) の同時発生.信仰の強度は死者=殉教者の数に比例し,同じ信仰を持つものの数に反比例する.異端に付き物の一つである不死性は,この場合には記憶の連続性となる.要するに梨花の最期は端的には火刑に処されたジャック・ド・モレーの「呪い」と他者が考えるもの.記憶の連続性の起点となることの外部承認である.皆し編では圭一に散見されていたが, 其の四 辺りからちらつかせていたレナがとうとう鷹野に明言「(鷹野が神になるのは) だから無理無理.だって,オヤシロさまはいるんだもん」.そればかりか,レナ以外の四人も死後に羽入を認知する.

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