ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2006年4月18日火曜日

涼宮ハルヒの憂鬱 #03 涼宮ハルヒの憂鬱 II

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「おそらく,これがこの時間平面上での必然なのでしょうね」 © 朝比奈みくる.

予想の一歩先斜め上を行く本作,参りました.五番手で昇格.これって, 麻耶雄嵩 "あいにくの雨で", 講談社ノベルズ, 1996, ISBN4-06-181907-0, ですね.だから,途中の章を頭に持って来たんか.

キョンの涼宮ハルヒ観察日記」という予想は plateau さんから「おそらく正解」ですとのお答えを頂いていたのだが,これにより一つの疑念が生じる.今まで昇格させなかったのはそれが原因.んで,その疑念とは,エキセントリックな人物が巻き起こすエキセントリックな行動の観察報告という形態は悪循環でしかない,という点にある.ようするに,袋小路に入り込んで自滅するか,嘘言が蔓延して破綻するか,デス・スパイラルに飲み込まれるか.そんな感じになってしまうんではないか.それなら二クール保たせるのは至難の業,一クールだって飽きてしまうだろうと予想しておったのだ.ところが,そんな素人のヘボい予想をあっさり引っくり返してしまうのが,冒頭に引用した CM カット後 08’25" 辺りの みくる の台詞である.

失速不可避になるだろうという予想は,「エキセントリックな人物」があくまで「人間」であるという前提を暗黙裏に必要としている.エキセントリックであるかどうかは,それが「人間」が巻き起こすからこそ判断できる.というわけで,この前提そのものを木っ端微塵にしてしまいやがった.恐るべし (笑).長門有希と涼宮ハルヒが「この銀河を統括する情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インタフェース」=宇宙人であるという,有希自身の言明がソレである.冒頭で引用した みくる の台詞にも続きがある.「それに長門さんがいるのも気になるし」.お,どうも みくる も人間ではないらしい.いや,実際に彼らが「ヒューマノイド・インタフェース」=宇宙人」であるかどうかなんてのは,どうでもエエ.それが可能かも知れない,という状況を作り出してしまったことの方が大事だ.「予想の一歩先斜め上」というのはこの意味である. PC 強奪やバニーガール・ビラ撒き事件に目を眩まされてはいけない (笑).

もっとも単純に考えると,「涼宮ハルヒを観察しているキョン」は「宇宙人を観察しているキョン」に置き換えられる.しかも,ハルヒ以外に宇宙人が二体いる.これだけで,もはや何が起こっても構わないという状況が可能になる.次に有希の表明は誇大妄想狂の産物でありヒューマノイド・インタフェースなどいないとすれば,まぁ,レンジは下がるとはいえ,「エキセントリック」の度合いは通常の場合よりも大きく広がる.なにせ相手はキ××イである.その間に,一体〜三体の組み合わせでヒューマノイド・インタフェースが存在する場合がある.下手すりゃ,キョン以外は全て…… っつ〜のもあり得るかも (と考えることも可能).いやぁ,これでもう,やりたい放題が可能である.参りました.

と,考えてみると,第一話『朝比奈ミクルの冒険 エピソード 00』がやたら胡乱なものに思えて来る.あれって,「文化祭用に涼宮ハルヒが製作した自主映画」という体裁を取りつつ,実は実体そのものだったのではないか.いやぁ,そんなことも考えることが可能になる.参りました.

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