ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2004年8月21日土曜日

Kurau Phantom Memory #08 もうひとつのクリスマス

  • 爆天 コレクターズ・セット / Kurau DVD 1a / Kurau OP CDS, 4th / Kurau ED CDS
  • 君望 凉宮家の快気祝い / Kurau DVD 1b

 「大丈夫だ. Kurau にとってはどうってことねぇ.へ〜っちゃらぷ〜さ」 © ダグ.

 おお,そういういきさつで Kurau をポッドバトルに引きずり込むのか.そりゃ Christmas を絡められちゃ Kurau は否応無しだな.

 もう第八話になるってぇのに,いっこうにビクともしない鉄壁の絵は相変わらず凄い.「Kurau - ひろし」をなかなか理解できない Christmas の表情なんか土下座ものだ.

 前回 "Last Exile" での #03 Transpose みたいな話になりそう と書いたけど,そんなに甘くはなかった.ポッドバトルのエピソードはあるにはあったが,むしろアヤカの因縁過去話が主体.仏頂面の Kurau はポッドバトルで活躍するにはするけど,お約速のボケをカマして反則負け (笑).というわけで,今回の主役はアヤカ.

 アヤカの父親は元 GPO 長官の John Steiger (2050 - 2086) ということで 36 歳で鬼籍に入っている. 36 歳で長官って 40 歳代で赤軍を昇り詰めたトハチェフスキー将軍より優秀だったのか (笑).それはともかく, Steiger 長官と奥さん,さらにでアヤカの弟になる息子は, 14 年前のクリスマスの夜に惨殺されている.それをアヤカは自宅近くの丘の上から見ていた.これがタイトルの由来.突然灯りが消えた家に戻るアヤカ.電源を切られた家の中を彷徨する彼女の表情を執拗なまでに描く絵.トラウマになるのも無理はない.後年 GPO に入隊/入所/入構 し,しゃかりきに頑張る彼女に「肩の力を抜け」とアドヴァイスしたのが当時のダグだった. A パート冒頭でアヤカが見ていたのは,廃屋となった生家というか,両親と弟が惨殺された昔の自宅だ.彼女の行動原理は 家族を奪った「悪意」に対抗するため である (公式サイトの第八話ストーリー紹介 より).

 アヤカが「Kurau を捕らえようと必死になっている」のは, Kurau が持っているリナサピアンとしての力が,彼女にとって憎悪の対象である「悪の力の顕現」になりかねないからであって, Kurau 本人に向けられているのではないという理解で佳いのかな.真下作品なら,実はアヤカは憎悪するほどまでに Kurau を愛しているということになるのだろうけど (笑).

 家に悪意が宿るというか憑くというのはあり得ない話ではなさそうだが,悪意の有無に関わらず,生活の痕跡が残っている廃屋というのは恐ろしい.人の気配がないだけで,どうしてこんなに,と不思議になるほどだ.そこで人が暮らしていた跡がなくなってしまうほど古くなると恐怖感もなくなるのだが.

 ダグの足取りから居所が割れ, GPO が島に上陸,いち早くその情報を入手した Kurau と Christmas はさっそく逃亡して行方をくらます.束の間の幸せな時間はこうして終わりを告げる.

Vitae summa brevis spem nos vetat incohare longsam.

They are not long, the weeping and the laughter,   Love and desire and hate: I think they have no portion in us after     We pass the gate.

They are not long, the days of wine and roses:   Out of a misty dream Our path emerges for a while, then closes,     Within a dream.

[ Mark Longaker "The Poems of Ernest Dowson", University of Pennsylvania Press, 1962, 1968, p. 38., より ]

 次回予告,絵はともかく,最後に出てくる タイトル が問題だ,演出・作監は森山雄治だそうだが,ああ,また胃が痛くなるのか……

人間関係はすべからく「対」が基本

 ミオルさん へびのあし@ココログ の指摘.

リナクスの「対」とはなんぞや?と考えてしまいそうですが、なんのことはない、人間関係はすべからく「対」を基本としていますよね。わたしとあなた。あなたとわたし。目の前のあなたをきちんと見て、そしてわたしをきちんと見て。

親子にしても夫婦にしても友達にしても、基本は同じ。みんな「あなたとわたし」です。

[ うああああ。:KURAU#7>(^-^) より ]

 かくもあっさりと,かくも簡潔至極に言い切ってしまうなんて.やっぱ,この人凄いや.巡回コースに入れなきゃ.ミオル・ファンになろう.蒙を啓かれるっていうか,無言の大喝っていうか.

 現実の空間ならいざ知らず,こういう (絶対的な外部から見下ろす,または覗き込む) 場合に,場を構成する変数が 2 個という意味での「対」という概念は,おれの場合あまり表に出てこず,従ってあまり意識されないんだよな.むしろ変数は 3 個と見ているのかも知れない.どうも一対一ではなく,"us and them" (やつら,おれたち) と見ているような気がする."us" は "I" に置換されることもあるが.身内はむしろ "us" であり,煎じ詰めれば "I" に包含されちゃうな.

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