原題が「訪問者」で邦題が「父と子」.なるほど.でも「訪問者」ってエエタイトルだねぇ.異界から訪れてくるんだよ父親が.別れた時のまんまの姿で.最後には自分の息子ぐらいの年齢の姿で.グールドの引用しか知らないけど『ワンダフル・ライフ (素晴らしき哉、人生!)』みたいな香りもする.
三好さんの いぬ日記:2004年06月21日 で DS9を知らない人でも、スタートレックを知らない人でも、一見さんでも、突然この話を見ても、なにか感じ取ってくれるはず
とまで絶賛されているので観てみた.おれ自身は「Star Trek」はほとんど無知で,カーク船長やらスポック,ドクター・マッコイが出てるのをいくつかぐらいしか観たことがない.1996年度ヒューゴー賞,1996年度エミー賞 メーキャップ賞にそれぞれノミネートされた作品らしく,素直に面白かった.
なのだが,強烈な既視感があったのもまた事実.なんでだろと考えてみたら,ブラッドベリや萩尾望都になんかそっくりの作品があったような気がする.高校の頃に読んだので記憶違いかも知れんけど.
トレック絡みの設定はほとんど知らないのでパスするとして,いちばん佳いと思ったのが,父親の時間が止まっていて,それがそのまま (息子にとっては長い時間を経て) 息子の前に現われるという点だ.どう考えてみても,死んでしまった父親が守護霊となって息子の心配をしているとしか受け取れん.エエ年こいた中年にもなって親不孝を重ねている自分には非常に身に詰まされる話だ.
設定は「父と息子」だが,これが「父と娘」や「母と息子」でないのは理由がありそう.この話では父親は息子の後半生を自己犠牲の生涯と捉えている.これに対し唯一出てくる女性の近親者である息子の妻は,息子が父親を救うために筆を折って科学者に転向すると,自己の道を歩むために離婚するという設定になっている.女性をそういう風に捉えているとすると「父と息子」になるのはある意味当然.でも,もっとそれらしい理由は,息子は父を殺すことで一本立ちするという概念だろう.乗り越えるものと立ちはだかるものとの間の絆であるからこそ,ぎこちないがそれ故に心に残る.
佳く判らんのが,最初に出てくる作家志望の女性.『嵐が丘』みたいに物語全体の聞き手になるのかと思ってたら結末を見ずして原稿持って消えてしまう.ううむ.それ以上に判らんのが最後の父の言葉なんだけど.このシーンは観なかったことにしよう.
この話を父親の側から描くとロバート・ネイサンの『ジェニーの肖像』になる.萩尾望都にもこれにインスパイアされたとしか思えない中編がある.タイトル忘れたけどなんだったかな.また読み返してみたいものだ.
0 件のコメント:
コメントを投稿