ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2005年5月10日火曜日

英國戀物語エマ #06 訪問

  • ワるきゅーレ III DVD 1 / エマ DVD

「英國は一つだが,中には二つの国があるのだよ.すなわちジェントリとそうでないもの.この二つは言葉は通じれども別の国だ」 © リチャード・ジョーンズ.まぁ,とりあえず山場到来ですな.ウィリアムくん一言も言い返せないけどダイジョブなんかねぇ.ジョーンズ父子が訪れるとなったときのエマの細かい動きが面白かった.ドアの前で深呼吸とか当日居間で待ってる際の手の握り具合とか.うろたえ具合とか.リチャードさんに紅茶を「手渡すことになってしまう」のはどういう意味があるのかよう判らんかった.

↑のリチャードさんの言葉もそうだし,英國コミュニティ史で習った「やつらとおれたち ("Us and Them")」もそうだが,全体を二分割すると A と B になるではなくて A と Ā (Null A →非A→成恵) という相互排他的な対立構造を見てしまうのは何故なんだろう.そういう風に把握するからこそ「判りません一派」がエンジンとして機能する訳ではあるけど.ヘーゲル弁証法的なテーゼ + アンチテーゼ = ジンテーゼというソナタ形式的概念把握ってステロタイプじゃないの? ロンド形式や変奏曲形式でエエぢゃん.

ストウナーさん,ジョーンズ父子には敬称付けんし,リチャードさんに接する様子はまるでマルシャリンとオックス男爵だし,どういうことなんでしょ. governess 自体がそういう地位にあったとは思い難いんで,不在の舞踏会で名前が出るぐらいだし,やっぱ出自が出自ということなんですかね.う〜ん,それならアルとの関係が佳く判らなくなるな.

「footman」,お仕着せを着てドアマンや給仕の役を勤める従僕.

ヴィヴィが口にしていた,ビアズリー (Aubrey Vincent Beardsley, 1872-1898) が挿絵を描いた『アーサー王の死 (Le Morte D'Arthur)』の出版は 1893-1894 年. 1894 年には有名な『サロメ』も.

ボード・スクール (board school),地域ごとに選任される学務委員会 (School Board) が管理していた公立小学校. 1870 年の初等教育法制定により創設されたが, 1902 年学務委員会が廃止されて country council school と改称した.ちなみに,日本でも似たようなもんで 1873 年 (明治六年) の学制二編実施で尋常小学校ができている.小学校の義務教育化は 1886 年 (明治十九年) の「小学校令」から.八百屋の小父さんの感想も似たり寄ったりだったんだろうねぇ.

時代背景は上記二点から修正すると,前世紀末のドン詰まりですかね.デカダンス期らしい.とすると,リチャードさんの言葉はもっと求心力があるというか,言葉以上に排他的なものを内に秘めているのかも.

使用人が百人って屋敷の割りには多すぎるような気がするんだけど,そんなもん? ストウナーさんが前に貿易云々と言っていたけど,屋敷内では家政だけではなくて商社の仕事場もあるんかな.使用人の頭数の中に今日でいう「社員」の数も含まれているとすると,でも今度は百人では少な過ぎるような気もするが.

リチャードさんから届いた手紙の宛先からすると,ストウナーさん (Kelly Stownar) の住まいは Marylebone street というところにある.シティからは微妙に外れているらしく,岸田さんの用語を援用すると「河向こう」ということになるんだろうか (笑).西部のハイドパーク北端からは東北の方向で,メイフェアの北側.ソーホーからは北西. Map of NW15LR United Kingdom | Multimap.com.ハキムが象で通って行ったのが Marylebone street なのか〜.ここに直交しているのがベイカー街.ホームズが住んでいたところですな.

冒頭,スティーヴンスが持って来た新聞を広げるリチャードさん,持参金 6 万ポンドで貴族の称号を買おうとするアメリカ娘の新聞広告を読んで「分相応であることが秩序と品格を保つ」と説教するんだが,それより新聞の本文がそれらしい文章になってるのにちょっと驚く.こういうのってイースターエッグの隠し場所になってるかと思ったんだけど,この作品にはないのねってか,あくまで真面目なのね.

前から気になっていたんだけど, OP の頭,線路〜蒸気機関車の正面の途中まではセピア調というかモノトーンの絵なんだけど,そこからカラーになる.もしかしてどこかで元のセピア調モノトーンに戻るのかと思って佳く観たら,スポンサー・コールは除外すると,予告編の最後で戻っているのに気付いた.過去五話分も観返してみたが,やはりそうなっている.なんか意味があるのかな〜.全体が過去の想い出話ということなんだろうか.とすると現在地点はどこ? 誰の視点? ってか,ロックウッド〜ネリー・ディーンは一体全体誰?

とりあえず1クール

駄文生産所長 からのお知らせで「とりあえず1クール」ということを知ったんだが,あと七話でどこまで進めるつもりなんだろ.「とりあえず」に重点が置かれているのなら原作準拠的でオリジナルのネタは出てこなさそうだし,そうなると第二期以降がなかったら詐欺だよ (笑).

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