ぐる式 (貳) より引っ越し作業中.未完.

2006年1月16日月曜日

蟲師 #12 眇の魚

  • 蟲師 OP CDS / 蟲師 DVD 1a (台詞あり 15 秒)
  • 蟲師 DVD 1b (台詞なし 15 秒)

「怖れや怒りに眼を眩まされるな.みな,ただ各々があるようにあるだけ」 © ぬい.

如何にしてギンコがギンコとして誕生したかの記.これも珍しく avant がある.そういや『キノ』は全 13 話中で自分語りをすることはなかったな.その意味では異色の回.前半が短いカットの積み重ねでちょっと戸惑う.横並びの並列か縦に並んでいるかの違いはあるけど, ぬい の住う場所が「きれいな野原」だと思えば,なぜにこの話がこんなにも哀しいのかということの説明も付く.ヨキにとってはそこが「向ふの河岸に二本の電信柱が丁度両方から腕を組んだように赤い腕木をつらねて立ってゐ」るような場所であるのは,ぬい が「此所はわたしと とこやみ たちの場所.お前の居て佳い場所じゃない」からだと断じている.いや,もしかしたら ぬい が「これでもう,佳いよな……」と諦観したとたんに野原は電信柱に姿を変えたのかも知れないが.

名無しの遍歴行商人 (などという普通名詞はない) の母親とその息子ヨキ@沢城みゆき.いつもながら,この深層心理に影響しそうなネーミングのセンスには圧倒されるな.ヨキには蟲が見える.ナナフシの身体を継ぎ足したような巨大な蟲が空を飛ぶ.蟲の大きさと影響力には何か相関関係があるのかな.くちなわ もデカかったしな.

行商中に崖崩れか何かで母親を失ったヨキは ぬい という名の蟲師に拾われる.かつては遍歴蟲師だった ぬい は白髪翠隻眼.残されているのは左目.住んでいるのは池の端.ぬい はヨキに蟲師の基本を仕込む.

(字未詳だが読みは,とこやみ)
姿は闇.「常世」からすると「常闇」と当てるのか.近くに ぬい が住んでいる池の蟲 (主) のような存在.「闇のような姿のものは とこやみ という」.闇には二種類ある.光のない闇と常の闇.とこやみ は後者.夜行性で夜になると池を出て小さい蟲を喰う. 夜間に とこやみ の傍に近寄ると,月や星が見えなくなったりする他に,自分の名前や過去までも思い出せなくなる.どうにか思い出せれば抜けられる.あるいは,何でも佳いからすぐに思い付く名前を付ける.前の名前だった頃のことは思い出せなくなる.なんか Schönberg の "Pierrot lunaire" とか "Erwartung" とかを思わせる話だよな.う〜ん,それとも Schubert の "Erlkönig" か知らん.
(字未詳だが読みは,ぎんこ)
明け方に池が銀色に光ることがある.光を放つのは とこやみ に棲む別の蟲のようだが名前は未詳. ぬい は ぎんこ と呼んでいる.ぎんこ に眼を奪われると残された眼は夜でも見えるようになる.喰った蟲を光に分解しているらしいが.その光を浴び続けていると白髪翠隻眼になる.が,その姿は経過句に過ぎなくて,ヨキ「片目の魚しかいないのは,両目がなくなると消えちゃうからなんだ」,ぬい「消えるのではない.ぎんこ の放つ光が生き物を とこやみ に変えるのだ」.

神々しいまでの ぎんこ の姿.「あれが ぎんこ.とこやみ の底の眼のない魚」 © ヨキ.遅かれ早かれ ぬい は ぎんこ に喰われることになったのだろうが,結果的にヨキが ぬい に印籠を引導を渡したように見えるな.意志 (遺志?) を継ぐためには師匠を亡くさなければならんのか.なんかコレもヌシの交代劇っぽい.ぎんこ の光を浴びて白髪翠隻眼となり,とこやみ の傍に居過ぎたせいでヨキとしての記憶をなくした「ヨキ」は唯一覚えていた単語「ギンコ」を名乗る.失ったのは師匠とは逆の左目.此所に嵌るのは ぬい の左目なんだろうな.ギンコは覚えてないだろうが.いや,待て.ぬい は「前の名前だった頃のことは思い出せなくなる」と言っているが,本当だろうか.それともヨキ=ギンコの場合だけは例外なのだろうか.ギンコが徒に蟲を殺さないのは「われわれのいのちの別の形だ」という ぬい の言葉を覚えているからではないのか.黒々とした左の眼窩が蟲を呼ぶからという理由で,またもや拾われた男の元から姿を消して,遍歴蟲師の道を踏み出すギンコ.やはりお師さまと同じ道を歩むのか.最後にはギンコも ぎんこ に喰われるのだろうか.

  • 登場人物の目が点になると.気を抜いても佳いシーンが現れる (笑).
  • ギンコがいつも吸ってるのは,唯の煙草ではないようだ.じゃ,ご禁制のアレなのか (笑).いや,蟲を散らすための蟲除けのようなようなものらしい.

『字統』には「眇」の字はない.「少」は「小貝などを綴った形」とあって,形態を表している「小」の字を連ねた形だそうだ.「眇」は載ってないが「渺」は淼と声義同じ.水が三つ組み合わさっているとおり「果てしなく広い水」で渺遠の意味.淼の字より古くは「眇」を充てていたそうである.『漢字源』だと「小」は棒を削って小さく細く削ぐさまを描いたもので,「少」は先の「小 (小さくけずる)」 + 「丿印 (削ぎ取る)」で,分量や数が不足しているという意味が派生してきた,とある.削ぐという動作は『字統』には記載されていない.少年とは年足らずという意味.これに目がくっついた「眇」は「片方が欠けた すがめ.または目を細くしてすかしてみること」.

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