「それにこの際だからはっきり言っておきますけど,あたしは家族の結束とそれに依って立つ家庭の存続に心を砕きこそすれ,親類だのご先祖だの家系だの,そういうことにはな〜んの興味もありませんの.いえ,そういった類いの観念には憎悪を抱いているといってもよろしい.制度としての家の解体と,実体である家族の共同性の解体とは峻別されなければなりましぇん.例え社会的存在としての四方田家が法の名の下に犯罪者集団の烙印を押され徹底的な弾圧を受けようと,一致団結してこの迫害に耐え自らを家族として実現し続ける限り,四方田家の理想は栄光とともに在り!」 © 四方田多美子.
甲子国の郵便局強盗が知れ渡ったことにより,毎日が万引き,置引き,かっぱらい,喰逃げの犯罪者一家となった四方田家最後の舞台は,とある廃業したドライヴ・イン.まるで『とどのつまり』に出てきそうな面構え.照明を入れたときに浮かび上がるコカ・コーラの大看板.大仰な BGM がまるでレイフスの点音列のコーラスみたいで可笑しい.あ〜,『紅い眼鏡』のオーケストラ・ヒットみたいなのかもね.
「家貧しくして親老ゆれば禄を択ばず」 © 四方田多美子さん大活躍.しかし,それ以上に可笑しいのが多々羅伴内.多美子さんとのデュオで思い入れたっぷりに歌うは『興信所は愛を信じない』.オールド・スタイルなシャンソン歌謡の名曲.しかも,歌巧い.録音演出の千葉繁氏「山寺,歌巧過ぎるよ〜!」と叫んでおります (笑).
というのが A パート. B パートには文明が乱入してくる.
あるときは対時間犯罪特殊機動捜査班二十世紀末極東地区担当の室戸文明,またあるときは有限会社吉本金融の存在しない社員である室田文明.弾き語りで『時の番犬』を歌った男.『紅い眼鏡』での都々目紅一張りの衣装で現れる彼の実体は.「わたしの名は四方田犬麿.父の名は犬丸.父の父の名は甲子国.そして母の名は,四方田麿子.初めまして,母さん.あなたの息子の犬麿です」 © 四方田犬麿.ぬわんと,麿子は本当に近未来からやってきた犬丸の孫であったのだ.犬麿の目的はただ一つ.麿子との関係が母であり娘であるという倒錯した悪循環に終止符を打つこと.つまり身籠った麿子をを子ども (すなわち自分自身) ともども葬り去ること.照明だかトランスだかを落として四方田家三人と多々羅伴内を排除して後,麿子との長い対話 (実質的にはモノローグ) の末,犬麿は「御先祖様万々歳!」と絶叫し,発砲する.
と,まぁ,箱セットを買ってから四年強.ずっとそう思っていたんだよ,今も今,この再放送を観るまでは.第一話の列挙でいうと OVA 全六話が 5) 説,単発の『麿子』が 4) だと信じて疑わなかったわけだ.バカな話さ.いったい何処に目を付けていたんだろう.何を聴いていたんだろう.
まず,麿子と犬麿の対話部分の頭を引用する.
麿子「ほんとうにいいの? 今度こそはと苦労してここまで追い込んだ家族の物語,それをこんな馬鹿気た展開で終わらせてしまって.ほんとにそれでいいの?」 犬麿「真に偉大な結末は予定調和でなければならない.そのための伏線だった.その名のみ語られていながら未だ姿を現さぬ男,この物語を根底から覆すはずだった最後の登場人物,それはわたしだ.わたしだったんだよ,麿子」 麿子「お父さま!」
文字だけ見てもこの段階でピンと来なけりゃいけないんだ.とくに麿子の最初の言葉の異様さには.犬麿は帽子を脱いでサングラスを取り,麿子に確認させたあと再びサングラスを掛ける.呪われた血縁を語りつつ最後に至って,
犬麿「さようなら,麿子.さようなら,母さん.撃つ前に一つだけ教えてくれないか.今,お前の中に,わたしはいるのか」 麿子「(微かに笑いながら) 最後に答えられぬ謎を残し.これで終わりよ」
なんか変だなと気付いたのは,麿子の声のピッチだった.犬麿=文明の方は全編通じてほぼ同じピッチなんだが,麿子の方はここで引用した分だけ異様に低いのである.あたかも麿子に二つの人格があるかのように.変だなと思って見返すと,犬麿には尻に五芒星の蒙古斑がないことが判る.いったいこれはどういうことなのだ? 蒙古斑は直系にのみ伝わるという四方田家の証ではなかったのか.
甲子国 -> 犬丸 -> 犬麿 -> 麿子という血の連鎖のうち,犬麿以降を裏付けるものは犬麿と麿子の二人の言葉しかない.しかも犬麿の正当性に疑義が生じて犬麿´になってしまうと,麿子の正当性も危うくなる.直系であるが故に蒙古斑を持つというのが真だとしてもその逆もまた真とは言えん.それでは犬麿´と麿子はグルになった詐欺師なのかというと,たぶんそれも違う.犬麿´の登場の仕方は他の誰とも違っているのだ. B パート頭で長々しい物語論を振っている犬麿´は扉の前に立っている.その扉を開けて他の登場人物の前に姿を現すのではない.犬麿´はこの背景を丸ごと持ち上げ,その下をくぐって出てくる.ドアを含んだ背景が揚げられた画面に映るのは,登場人物が芝居をしている舞台とその奥に広がっている観客席.あたかも現実の芝居の背景幕を上げて登場してきたかの如くに.舞台を中心にしたときに客席と対象位置にいるのは誰かと言えば,それは当然スタッフ.長々しい物語論で物語の始まりと終わりに付いて語っていたのはこのためで,犬麿´でありながら犬麿としての言説のみをなすこの正体不明の人物はまさに物語を終わらせるために送り込まれた暗殺者であり,スタッフの意志の象徴なのだ.しかも物語を終わらせることは物語自体が要請している.第四話で犬丸が「強引な設定で始まり,手詰まりを重ねてきたこの物語」と語り,第五話で多美子さんが「現実的かつ常識的範疇を遥かに超えたストーリーの中で,親だの息子だの孫だの曾孫だの好き勝手に呼び合って家やら家族やらの危険極まりない観念を弄んだドラマ」がソレだ.これが迎える帰結は「近未来からタイムマシンでやってきた孫娘なんて凡そ信じ難い設定を願望のままに受け入れたあなたたちが負うべき,これが当然の報い」,「閉ざされてあるべき家族の葛藤劇にあんな部外者を招いた報い」としての暗殺者の来襲なのである.随所に挿入されている物語論は,いずれメタ・レベルからの介入があるという予告だったのかも知れない.
とすれば,麿子が詐欺師であろうが孫であろうが,もはやどうでも佳いことだ.犬麿´が作者または演出家だとすれば,彼女は動機である.麿子の声には二種類ある.ピッチが高い方が「麿子を演じている声」で,低い方が言わば「素の声」に聞こえるのも,これも故意にであって,そこでは作者または演出家が自己の動機と対話している一種のモノローグであるに過ぎない.
と,まぁこんなことを考えてしまったのである.明日になればまた別のことを考えるだろうがな (笑).
前口上は犀鳥の巣立ちの日.木の空虚に開けた素穴,その入り口がまるで女性器に見えるのは故意かね.「蛍窓雪案」は「晋書−車胤伝」.その前の「しゃけい そんせつ」というのは不明.「そんせつ」は「撙節」だろうか「車蛍孫雪」.はところで,この前口上,各々びみょ〜に本編の要約になっているよな〜 (笑).ちなみに,最終話には前口上はありません.これが最後.巣立ちの日を迎えた彼の目に映るものは,終焉を迎えつつある物語の断末魔の姿だったのだ.
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